表紙 > 和訳 > 『尚書』『書経』商書の今文を抄訳する

全章
開閉

『尚書』商書・湯誓 第10

湯王が夏の桀王を征伐する理由

王曰:「格爾眾庶,悉聽朕言,非台小子,敢行稱亂!有夏多罪,天命殛之。今爾有眾,汝曰:『我后不恤我眾,舍我穡事而割正夏?』予惟聞汝眾言,夏氏有罪,予畏上帝,不敢不正。

商の湯王が告げた。

平凡はいう。『史記』本紀は、湯誓のまえに、「湯征」などがあったという。『墨子』非楽上には、「湯の官刑」がある。『孟子』梁恵王、滕文公にも陰陽がある。『墨子』尚賢中にもある。
平凡はいう。湯王は、名を履、あざな(もしくは諡)を湯、または成湯という。みずから武王と号した。甲骨には、王号として「大乙」という。成・湯とは、出身地である、成・唐が転じたものだという。殷王朝については、平凡108頁。

台小子(わたし)は、反乱するのでない。

平凡はいう。天子が、上帝や祖先にたいして自称するとき、「台小子」という。台とは「予」だから、「予小子」とおなじ。

有夏に罪がおおいので、天命が尽きた。いま天が、私に有夏を倒させるのだ。

ぼくは思う。「罪」がここには具体的に書かれていない。つぎに出てくる。

いま、きみたちは「湯王は人民のことを考えず、農務をさしおかせ、なぜ有夏を征伐させるのか」と疑問に思っているようだ。

平凡はいう。原文「割」は「害(なんぞ)」の仮字。

衆言(みなの言うこと)を聞けば、有夏に罪があることは明白である。わたしは上帝を畏れるからこそ、有夏の罪を正さずにはいられない。

ぼくは思う。湯王が天の代理を演じる。これは、夏の啓王とおなじ。


今汝其曰:『夏罪其如台?』夏王率遏眾力,率割夏邑。有眾率怠弗協,曰:『時日曷喪?予及汝皆亡。』夏德若茲,今朕必往。」

とこらがまた、きみたちは「有夏にどんな罪があるのか」ときく。夏王は、人民の力を使い果たした。夏邑を損なってしまった。だから人民は、働く気力をうしない、怠惰になった。人民は「太陽さえも、いつか亡びるのか。私もお前も、みな亡びる」という。

平凡はいう。上帝の意志を、、というのは『尚書』皋陶謨が基調。
平凡はいう。『孟子』梁恵王上、『史記』にひかれている。『呂氏春秋』慎大では、夏王の桀が自分を東方の太陽、湯王を西方の太陽とする。2つの太陽が戦い、東方が敗れたという夢を見たという。
『尚書大伝』でも、桀王が太陽にひっかけ、滅亡を予感する。
ぼくは思う。有夏の罪とは、人民を疲弊させたこと。有夏が、天に対してどういう態度をとったのか、直接は書かれていない。恐らく、天に対するプラスの働きかけを欠いたはずだが、書かれていないものは、書かれていない。偽古文に書いてあるから、「使い」たくなるが、ダメ。辛抱づよく「使える」表現を探すのだ。
平凡はいう。109頁で、有夏の罪状が具体的に分からないという。『史記』、『楚辞』天問、『国語』晋語、『孟子』、『墨子』非攻下などで、「台池鳥獣」などの奢侈のせいで滅びたと理解されている。漢代の『韓詩外伝』『新序』では、酒池肉林をしたという。
ぼくは思う。奢侈は、天に対する供犠にすることなく、物資を使い果たす行為か。もし、ハデに供犠をしていて、物資を使い果たすなら、天に叱られることはないのかも。どうかなあ。わからん!ともかく奢侈は、いけないよと。

有夏の徳は、このとおり。だから私は、必ず有夏を討伐するのだ。

湯王に逆らってはならない

「爾尚輔予一人,致天之罰,予其大賚汝!爾無不信,朕不食言。爾不從誓言,予則孥戮汝,罔有攸赦。」

きみたちは、どうか予一人を助けてくれ。天罰を果たさせよ。きみたちが私を助けるなら、おおいに賞する。きみたちは、私を信じよ。私は食言(言行不一致=ウソ)をしない。私の誓いに従わなければ、奴隷にしてきみたちを辱めよう。

平凡はいう。「予一人」は、謙遜の自称であったが、万民に対して、天子が主権をいうときも使ったようだ。
平凡はいう。食言は、『左氏伝』哀公25年にある。「飾言」のこと。前に言ったことを、飾ってごまかすのが原義。

閉じる

『尚書』商書・盤庚上 第18

遷都の決意を告げる

盤庚遷于殷,民不適有居,率吁眾戚出,矢言曰:「我王來,即爰宅于茲,重我民,無盡劉。不能胥匡以生,卜稽,曰其如台?先王有服,恪謹天命,茲猶不常寧;不常厥邑,于今五邦。今不承于古,罔知天之斷命,

盤庚が殷に遷都しようとした。

平凡はいう。盤庚とは、商の24代王。『左氏伝』哀公11年、「盤庚の誥」がある。殷王朝の歴史について、平凡版136頁にある。
『尚書』盤庚は、今文では1つだったが、古文で3つに分けられた。今文と古文では、内容が違う。古文は、ばらばらの時期に作られたともいう。ぼくは思う。筑摩版にも解説があった。商王朝の都の場所とか、殷という場所と国号についてもある。

人民が遷都をいやがったので、盤庚が親族の重臣をあつめて言う。
わが国の先王は、旧都の災難で人民が死ぬことがないよう、いまの場所に都した。人民が死なないように、卜占して遷都した。先王は、天命を敬ったので、1箇所に安んじなかった。この前例があるのだから、いま遷都しないと、わが王朝の命運が断絶するかも知れない。

平凡はいう。『尚書孔伝参正』によると、水害で遷都した。漢魏のときは、鄭玄がいうように、奢侈になった都の風俗を改めるために、新たな都で倹約した政治をした、と理解された。
ぼくは思う。黄河の氾濫域という現実的な問題は、ひとまずおく。漢魏において、奢侈することが、天命を損なうと認識されていたことがわかる。奢侈すれば、ほかの王朝に討伐される。それを防ぐため、あたかも「みずからを討伐する」ことにより、王朝の天命を長らえさせた。みずからを討伐するとは、既存の都城を捨てて、既存の重臣の反対をあえて押し切って、遷都することである。遷都すれば、べつ王朝みたいなものだから、惰性がなくなる。学校や会社で、人間関係がうまくいかないと、席替して雰囲気を刷新するのと同じである。
ぼくは思う。董卓による遷都は、後漢の「自発的で擬似的な自己討伐」だな。劉氏を保全したまま、刷新できる。董卓の遷都は、べつに皮肉ではなく、いい意味での「改革」なのだ。蔡邕さんは、消失した洛陽の上に「あるべき漢」を築きたいがために、董卓の遷都に加担したのかも知れないなあ。


矧曰其克從先王之烈?若顛木之有由薛,天其永我命于茲新邑,紹復先王之大業,厎綏四方。」

王は続いていう。先王の前例にしたがって遷都するなら、わが王朝の命運が、新都で永続する。先王をついで天命を回復し、四方の諸国を安定させられる。

祖先を媒介に、官吏を戒める

盤庚斆于民,由乃在位以常舊服,正法度。曰:「無或敢伏小人之攸箴!」王命眾,悉至于庭。
王若曰:「格汝眾,予告汝訓:汝猷黜乃心,無傲從康。古我先王,亦惟圖任舊人共政。王播告之,修不匿厥指。王用丕欽;罔有逸言,民用丕變。今汝聒聒,起信險膚,予弗知乃所訟。非予自荒茲德,惟汝含德,不惕予一人。予若觀火,予亦拙謀作乃逸。」

盤庚は人民を教育するため、まず官位にある者を教育した。「庶民がそしっていることを、勝手に押し隠すな」と。盤庚は在位者を朝廷に集合させた。
盤庚はいう。「私心をりしぞけ、安楽をむさぼるな。先王は老練な官吏をつかい、なにも隠さずに、円滑に人民を統治した。しかし今日、きみたち官吏が言い争っている。きみらは、予一人の命令を畏敬しなていない。私の命令は、火のように明白なのだから、私の命令にしたがえ」

若網在綱,有條而不紊;若農服田,力穡乃亦有秋。汝克黜乃心,施實德于民,至于婚友,丕乃敢大言汝有積德。乃不畏戎毒于遠邇,惰農自安,不昏作勞,不服田畝,越其罔有黍稷。
汝不和吉言于百姓,惟汝自生毒,乃敗禍姦宄,以自災于厥身。乃既先惡于民,乃奉其恫,汝悔身何及!相時憸民,猶胥顧于箴言,其發有逸口,矧予制乃短長之命!汝曷弗告朕,而胥動以浮言,恐沈于眾?若火之燎于原,不可向邇,其猶可撲滅。則惟汝眾自作弗靖,非予有咎。

盤庚はいう。「官位にある者は、自分の勝手な判断をはさまず、私の命じたとおりに、賞罰や生殺を支配せよ。トラブルを起こして、農業のジャマをするな」と。

遲任有言曰:『人惟求舊,器非求舊,惟新。』古我先王暨乃祖乃父胥及逸勤,予敢動用非罰?世選爾勞,予不掩爾善。茲予大享于先王,爾祖其從與享之。作福作災,予亦不敢動用非德。
「予告汝于難,若射之有志。汝無侮老成人,無弱孤有幼。各長于厥居。勉出乃力,聽予一人之作猷。無有遠邇,用罪伐厥死,用德彰厥善。邦之臧,惟汝眾;邦之不臧,惟予一人有佚罰。凡爾眾,其惟致告:自今至于後日,各恭爾事,齊乃位,度乃口。 罰及爾身,弗可悔。」

盤庚はいう。「私の祖先である先王は、きみたちの祖先とともに苦労した。私は先王の子孫だから、先王の臣の子孫である、きみたちに不当な処罰をしない」と。

平凡はいう。甲骨文によれば、商代、先王は世代の順にさかのぼり、父は祖父の霊につかえ、祖父は曽祖父の霊につかえ、、となった。商の始祖・大宗が媒介となり、地上の現在の王の意志を、上帝に伝えた。上帝は、これによって禍福をくだした。先王と、臣下の祖先とのあいだにも、おなじ霊的な媒介があった。臣下の祖先は、先王の命令をうけて、みずからの子孫を監視した。賞罰を、先王に言いつけた。
ぼくは思う。この霊的な媒介を確認できれば、あとはふつうの訓戒である。

閉じる

『尚書』商書・盤庚中 第19

遷都をこばむ者を戒める

盤庚作,惟涉河以民遷。乃話民之弗率,誕告用亶。其有眾咸造,勿褻在王庭,盤庚乃登進厥民。曰:「明聽朕言,無荒失朕命!嗚呼!古我前后,罔不惟民之承保。后胥戚鮮,以不浮于天時。殷降大虐,先王不懷厥攸作,視民利用遷。汝曷弗念我古后之聞?承汝俾汝惟喜康共,非汝有咎比于罰。予若籲懷茲新邑,亦惟汝故,以丕從厥志。

盤庚が遷都をはじめた。黄河をわたり、新都の殷に移ろうとした。人民のうち、遷都に従わない者を集めた。
盤庚はいう。「私の命令をきけ。わたしの祖先は、人民を養った。人民も、わたしの祖先に従った。天が災害を降すので、先王は遷都した。人民は遷都にしたがった。私の遷都も、きみたち人民を養うためであり、先王の前例を踏まえたものである」

今予將試以汝遷,安定厥邦。汝不憂朕心之攸困,乃咸大不宣乃心,欽念以忱動予一人。爾惟自鞠自苦,若乘舟,汝弗濟,臭厥載。爾忱不屬,惟胥以沈。不其或稽,自怒曷瘳?汝不謀長以思乃災,汝誕勸憂。今其有今罔後,汝何生在上?今予命汝,一無起穢以自臭,恐人倚乃身,迂乃心。予迓續乃命于天,予豈汝威,用奉畜汝眾。
予念我先神后之勞爾先,予丕克羞爾,用懷爾,然。失于政,陳于茲,高后丕乃崇降罪疾,曰『曷虐朕民?』汝萬民乃不生生,暨予一人猷同心,先后丕降與汝罪疾,曰:『曷不暨朕幼孫有比?』故有爽德,自上其罰汝,汝罔能迪。

私は人民を安定させたいから、遷都をする。きみたちが遷都に協力しなければ、死んでしまうだろう。荷物を載せて河にいるが、対岸につかずに、荷物を腐らせるようなものだ。きみたちは安定した居住地を得られず、死んでも魂が祭られない。荷物を腐らせ、悪臭を放たせるな。
私は天から、生命の支配を受けついでりう。私の先祖は、きみたち人民の先祖をいたわった。もし私が、旧都での政治に失敗しているのに、遷都をせずに留まれば、先王に責められる。

ぼくは思う。盤庚が、どういうロジックで政治行動を起こしているのか、それが確認できればいい。みずからの祖先と、人民の祖先の関係を、再現するのだ。みずからの祖先とは、天命を受けた初代である。もし祖先の再現に失敗すると、祖先に問責される。盤庚は、祖先に叱られることを自ら畏れる。また人民も、彼ら自身の祖先に叱られることを畏れるだろうという諒解のもとで、遷都への協力を呼びかけている。


「古我先后既勞乃祖乃父,汝共作我畜民,汝有戕則在乃心!我先后綏乃祖乃父,乃祖乃父乃斷棄汝,不救乃死。茲予有亂政同位,具乃貝玉。乃祖乃父丕乃告我高后曰:『作丕刑于朕孫!』迪高后丕乃崇降弗祥。」

私の祖先が、きみたちの祖先の功績をねぎらったときから、きみたちはわが国の良民である。しかし、祖先が築いた関係性を崩すのならば、不幸になるだろう。

ぼくは思う。祖先の再現、祖先同士の関係の維持が、至上命題である。べつに「孝」が強調されているのでない。君臣のあいだからとして、語られている。「忠」とも言わない。ただ、関係性の維持と再現をいう。


嗚呼!今予告汝:不易!永敬大恤,無胥絕遠!汝分猷念以相從,各設中于乃心。乃有不吉不迪,顛越不恭,暫遇姦宄,我乃劓殄滅之,無遺育,無俾易種于茲新邑。 往哉!生生!今予將試以汝遷,永建乃家。」

さあ、私の遷都についてきなさい。永住できる家を建てよう。

閉じる

『尚書』商書・盤庚下 第20

遷都して、諸官を戒める

盤庚既遷,奠厥攸居,乃正厥位,綏爰有眾。曰:「無戲怠,懋建大命!今予其敷心腹腎腸,歷告爾百姓于朕志。罔罪爾眾,爾無共怒,協比讒言予一人。
古我先王將多于前功,適于山。用降我凶,德嘉績于朕邦。今我民用蕩析離居,罔有定極,爾謂朕曷震動萬民以遷?肆上帝將復我高祖之德,亂越我家。朕及篤敬,恭承民命,用永地于新邑。肆予沖人,非廢厥謀,弔由靈各;非敢違卜,用宏茲賁。

槃瓠が遷都した。居住地、宗廟、社稷の位置を整備した。
盤庚はいう。「なまけるな。私は本心をうちあける。百官は、徒党をくんで、私(盤庚)を悪く言わないように」と。

ぼくは思う。平凡版143頁に、この篇のなりたちがある。
ぼくは思う。盤庚は、自分の意志が、末端までストレートに達することにこだわっている。百官が、自分の判断をめぐらせて、命令を曲げることを拒んでいる。おそらく、「上帝、商王の初代、歴代の祖先、自分」とつながった、抵抗ゼロの直列のルートをイメージしているのだろう。自分のあとは、百官がいて、人民に到達しなければならない。百官が空洞のパイプであることは、百官の祖先が空洞のパイプであった(という盤庚の理解)に裏づけられている。

盤庚はいう。「先王は、山上に昇って禍いをはらい、人民の居住地を確保した。これは、上帝が、わが先王の徳を回復して、わが王家を修めさせようとしているのである。私も占卜のお告げに従い、居住地を安定させよう」と。

嗚呼!邦伯師長百執事之人,尚皆隱哉!予其懋簡相爾念敬我眾。朕不肩好貨,敢恭生生。鞠人謀人之保居,敘欽。今我既羞告爾于朕志若否,罔有弗欽!無總于貨寶,生生自庸。式敷民德,永肩一心。」

ああ、諸国の伯たちよ、地方長官たちよ。きみたちが人民を哀れんでいるか、私が監視しよう。私は、貨財を好む者に、統治を任せない。困窮している者を、安住させる者を重用する。官吏たちは、利殖をはかるなよ」と。

平凡はいう。偽孔伝では、「貨宝をあつめて、自分の官位を求めるために使うな。進んで、みな功徳をもちいよ」と解釈する。誤りである。「貨宝をあつめて、利殖して、自分だけのために費やしてはならない」と、『尚書孔伝参正』の読み方が正しい。遷都のような変化があるとき、利益をあげる者が出てくるので、盤庚が戒めている。
ぼくは思う。ほんとに貨殖(経済資本)にきびしい!人民にバラまけ!という。盤庚の認識において、貨殖は百官が滞留させてよいものじゃない。どんどん流通させるものである。盤庚が滞留を警戒するのは、百官がかってに価値判断して、盤庚の意志を曲げてしまうのを嫌うことに通じる。天の意思にせよ、貨殖にせよ、百官のところで滞留したり変化したりして、腐臭を放たせることを嫌っている。パスせよ!と、盤庚はいう。やがて、盤庚の意志は子孫につたわり、人民の意志も、人民の子孫に伝わって、祭られていくでしょう、という見通しがある。上で「もし遷都を拒めば、祭ってもらえない」と人民を脅していた。
ぼくは思う。遷都もまた、循環させるための手段か。ひとつの都に留まっていると、良くない。蓄財は滞留であり、自分のためだけの消費(さっき盤庚が批判していた)も滞留であり、遷都を拒むことも滞留であり、命令を自分のところで止めるのも滞留である。ほお!理解できた。盤庚を「パス王」とよぼう。

閉じる

『尚書』商書・高宗肜日 第24

キジは先王からのお叱り

高宗肜日,越有雊雉。

高宗の肜祭の日である。キジが飛んできて、廟(みたまや)に供えた、鼎の耳にとまって鳴いた。

平凡はいう。短くて意味がとりにくい文書である。伝承がもとになるが、商代の文書ではない。天命の観念を示しているのか。
平凡はいう。商の高宗とは、武丁である。だがこれは、商代の事実を書いていない。『礼記』喪服四制に出てくるが、甲骨に高宗はいない。
平凡はいう。肜祭とは、太古を打ち鳴らして祭ることか。平凡版155頁。
平凡はいう。キジが鳴くのを、吉兆とする場合と、凶兆とする場合がある。ここでは凶兆。『尚書大伝』では、武丁が成湯を祭ったところ、鼎にキジがとまった。「キジや野鳥であり、鼎にとまるのは、遠方から来朝者がある吉兆である」と解釈された。
平凡はいう。鄭玄によると、鼎とは三公をあらわす。「三公」にキジが登ってしまうのは、王が天意に明らかでないことを意味するという。キジの化身をコビトだとしたり、『詩経』でキジは、神霊の死者となったりする。


祖己曰:「惟先格王,正厥事。」乃訓于王。曰:「惟天監下民,典厥義。降年有永有不永,非天夭民,民中絕命。民有不若德,不聽罪。天既孚命正厥德,乃曰:『其如台?』嗚呼!王司敬民,罔非天胤,典祀無豐于昵。」

祖己はいう。

平凡はいう。祖己とは、帝乙、帝辛のとき、甲骨に「祖己」と記される。武丁の長子で、祖庚の兄であるらしい。偽孔伝いわく、賢人である。

「天にいる先王が、政治の誤りを正そうとしている」と。
さらに王を諭した。
「天は下界をみて、正しい道義を行わせる。寿命には長短がある。寿命が短いのは、天が生命を中断するからでない。徳に従わず、罪過を改めないから早死にする。天が寿命を与えるのは、人に徳を行わせるためである」

平凡はいう。在天の上帝が、地上を監視するのは、中国の古代の思想である。この思想を、神話的な要素をのぞいて説明したのは、『墨子』天志上である。いわく、天は義を欲して、不義をにくむ。義をすれば長生きでき、不義をすれば早死にすると。
ぼくは思う。へー!

「王は人民をみちびく。人民は、みなが天の子孫である。だから王は、人民を公平に導かねばならない」

平凡はいう。天の子孫(天胤)というとき、その起点について議論がある。平凡版156頁。
平凡はいう。ここでは、近親者の祭祀をするだけでなく、飢えた者、疲れた者など、王がすべてを養えといっている。宗廟と祭ることと、民を養うこととは、直結しない。ゆえに両者を、並列の関係で読むこともできる。

閉じる

『尚書』商書・西伯戡黎 第25

祖伊が紂王を諫められない

西伯既戡黎,祖伊恐,奔告于王。曰:「天子!天既訖我殷命。格人元龜,罔敢知吉。非先王不相我後人,惟王淫戲用自絕。

西伯(周の文王)が、黎を平定した。

平凡はいう。タイトルになっている「黎」とは、勝つ、殺す。
平凡はいう。関連する甲骨文は、平凡版158頁。『史記』殷本紀、周本紀によると、文応は、季歴の子で、名は昌。文王の事跡については、平凡版159頁。
ぼくは思う。殷周革命のための戦いが始まり、周の文王が力をもっている。殷周革命を、史料で「リアルタイム」に読むというのは、へんな感じ。この文書は、紂王の最後の強がり。攻められる側の暴君。

祖伊は、西伯の勝利をきいて、紂王に駆けつけた。祖伊はいう。「天は、殷の天命を尽きさせた。卜占しても、吉事がでない。先王が子孫(紂王)を助けないのでなく、紂王が遊楽をすぎて、みずから天命を断絶させた」

平凡はいう。遊楽がすぎるのは、原文で「淫戯」である。『史記』では「淫虐」とする。鄭玄は、民に暴虐をしたと解釈する。ちょっと言い過ぎである。「淫」とは、過度にやりすぎること。「戯」とは、『詩経』大雅・板篇にあるように、天の怒りを敬わないで、遊び楽しむこと。紂王がやったことは、淫乱な音楽、酒池と肉林、苛斂と誅求、などの説がある。
ぼくは思う。遊びすぎて、天を蔑ろにした。これでいいじゃん。「紂王がどんなに悪かったか」とは、後世の史家にゆだねられた、大喜利の問題みたいなものである。内容について吟味しても、あまり意味がない。
ぼくは思う。天のために物資を破壊するのは「供犠」だが、自分のために物資を破壊するのは「淫戯」なんだなあ。退蔵の一形態だと思う。


故天棄我,不有康食。不虞天性,不迪率典。今我民罔弗欲喪,曰:『天曷不降威?』大命不摯,今王其如台?」

ゆえに天は、殷を見捨てた。
国民は、天から与えられた生命を楽しめない(不有康食)。

平凡はいう。『墨子』非命中はいう。天子が百姓に暴虐することは、百姓の立場から見れば、「生命を楽しめない」ことにあたる。『詩経』大雅・蕩では、殷には典礼の規則があったのに、これを破ったから、天命が傾いたという。

国民は、国家の法制にも従えない。すべての人民が、殷の滅亡をねがう。「殷を征伐せよという天命はまだか」と言っている。王はどうしますか。

祖伊が紂王に愛想をつかす

王曰:「嗚呼!我生不有命在天?」 祖伊反曰:「嗚呼!乃罪多,參在上,乃能責命于天?殷之即喪,指乃功,不無戮于爾邦!」

紂王はいう。「私は生まれながらに大命を天から受けた」と。
祖伊は紂王を辞して去り、嘆いた。「紂王の罪過は、上天に積み重なっている。紂王がやったことは、すべて国の大恥である」と。

平凡はいう。『史記』周本紀は、偽孔伝とおなじく「わが寿命は天にある。人民などが、私を害せるはずがない」jと読解する。「生」は生命、「命」は寿命とする。だが、天命と理解したほうが良かろう。
平凡はいう。『墨子』天志中に「泰誓」がある。現存の『尚書』の同題の文書とは異なる。ここで紂王は「私には”命”がある」という。これは天命と理解しないとおかしい。

閉じる

『尚書』商書・微子 第26

紂王の異母兄が亡命をさそう

微子若曰:「父師、少師!殷其弗或亂正四方。我祖厎遂陳于上,我用沈酗于酒,用亂敗厥德于下。殷罔不小大好草竊奸宄。卿士師師非度。凡有辜罪,乃罔恆獲,小民方興,相為敵仇。今殷其淪喪,若涉大水,其無津涯。殷遂喪,越至于今!」
曰:「父師、少師,我其發出狂?吾家耄遜于荒?今爾無指告,予顛隮,若之何其?」

微子が仰ったことを記録する。

平凡はいう。微子が高官を説得して、殷から亡命する話。『史記』によれば、微子は紂王の異母兄である。紂王を諫めたが聞き入れられないので、亡命した。微子のほかに、同族の賢人として、箕子と比干がいる。箕子は狂ったふりをして奴隷になる。比干は諫めて殺された。亡国の悲運を、微子、箕子、比干が3とおりに表す。

「父師よ、少師よ。もう殷は、四方を統治できない。

平凡はいう。鄭玄によると、太師は三公であり、箕子をさす。少師は孤卿で、比干をさす。甲骨と比べると、武官もしくは楽官である。

祖先が法制を定めたのに、紂王が酒びたって、みな違反する。おおきな渡場にきても舟がないように、殷は滅亡することになった」と。
微子はいう。「太師と少師は、遠くに逃げよう」と。

紂王は、神への犠牲を自分で食べる

父師若曰:「王子!天毒降災荒殷邦,方興沈酗于酒,乃罔畏畏,咈其耇長舊有位人。今殷民乃攘竊神祇之犧牷牲用以容,將食無災。降監殷民,用乂仇斂,召敵仇不怠。罪合于一,多瘠罔詔。商今其有災,我興受其敗;商其淪喪,我罔為臣僕。詔王子出,迪我舊雲刻子。王子弗出,我乃顛隮。自靖,人自獻于先王,我不顧行遁。」

父師はいう。「紂王は、天威をおそれず、長老の教えにも逆らう。殷王の一族は、神々に捧げるべき犠牲を盗みとり、気ままに飲食して、際限がない。

ぼくは思う。原文は「今殷民乃攘竊神祇之犧牷牲用以容,將食無災。」と。すごいなあ。どうして天命を失うかと言えば、天に供えるべきものを供えず、私蔵するからである。これが根源なんじゃないかな。奢侈がダメなのも、このロジックだと思う。『今文尚書』に、この言葉があって良かった。ここまで長かった!

殷の庶民は、租税のとき、おたがいに争う。

ぼくは思う。租税もまた、退蔵が起きる。つよく握って、つぎへのパスを拒んでいる。だから国が滅ぶ。なるほど。
後漢の献帝は、これと比べたときに、献帝その人は退蔵しなかったから、弁護された。「董卓や曹操のような悪者が、退蔵しているだけで、献帝は退蔵する天子ではない」というのが、袁術の皇帝即位に反対する者の根拠になった。

殷は滅ぶが、私(箕子)は、最悪を引き受けよう」と」。
微子は、箕子にいう。
「好きにしよう。自分の信じる方法によって、先王につくそう(人自獻于先王)。私は国外にゆく」と。

平凡はいう。『史記』は、殷の3人の王族について、対照的に描いている。逃げた微子、気が狂ったふりをして殺された微子、諫めて殺された比干。
ぼくは思う。『史記』は、こういうおもしろいエピソードを把握しやすいように、編集してくれている。ぼくは『史記』編纂のイメージを誤っていた。「司馬遷は全国をめぐり、伝説を集め、父の遺産を除けば、ほぼ独力で編纂した。最古の正史だもんね」と。ちがう。『尚書』『詩経』『孟子』『春秋』などの記事を比べ、1本の話になるように繋いだ。儒学の諸書の編集のうまさが特色だと思う。

閉じる

inserted by FC2 system