読書録 > 落合淳思『古代中国の虚像と実像』と神話の思考

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2013年版の感想/神話的な思考方法

おなじ本を、時間を隔てて読むと、まったく違う感想をいだくことがある。定点観測により、自分の変化に気づくことができる。
ただし、すべての本について、時間を隔てて再読するということは、あんまりやらない。なんとなく気になっている本について、やることならある。
落合氏の『古代中国の虚像と実像』は、3年前のちょうどこの時期、おそらくメグリア・セントレで立ち読みした。そのときに、買ってもいないくせに、感想を書いた。
落合淳思『古代中国の虚像と実像』と、歴史書のおもしろさ
同じものを下に再掲載しておきました。

今回は、再読したいなあと思ったところ、アマゾンで1円で売っていたので、買いました。ほんとうに敬意を欠いた読み方しかしていない。

巻末に殴り書きしたメモ

通勤電車のなかで、巻末に感想を殴り書きした。

おもしろすぎる歴史史料の記述は、基本的にはウソである。では、なぜウソをついてまで、おもしろい史料を残すのか。きっと人間は、ただの出来事を、頭のなかで再構成する。その再構成の方法は、神話が形成されるときと同じ仕方である。人間は、神話への加工をやりたくて仕方がない。また、神話へと加工されたものを、人間はおもしろいと感じる。いや、おもしろいと感じるものは、神話の型にはまったものである。どちらが先なのか分からないが、神話を「語る」ことと「聴く」ことは、表裏一体である。ある場面においては分業されるが、人間はすべて、どちらの役割も演じずにはいられない存在なのだろう。
すみません、ちょっといま連想で膨らました。電車でこんなに書けない。

古典の語句とその解説

本の内容をまるまる要約してもよいのだが、ちょっと大変。筆者が、使用頻度のたかい語句について、見解を表にまとめておられるので、それを引用することで、筆者の刀裁きの傾向を振り返っておきたい。ほかにも多くの話が書かれているが、手法としては、だいたい出尽くしている。
「酒池肉林」したという殷紂は、史料の暦からスケジュールを再現すると、遊ぶひまがないほど政治活動をしていた。「太公望」は釣人どころか、東方の大きな勢力である。「共和」とは共に和するのではなく、共伯和による王位簒奪の時代だった。

ぼくは思う。伯和。後漢の献帝のあざなは伯和。『史記』周本紀では「共和」期には君主がおらず、共に和した合議制の時代のように描かれる(らしい)。しかし実際は、共伯和という人物が周王を簒奪した時代(らしい)。
後漢の献帝は、どんなイメージに基づいて、あざなを決め(献帝の成人は董卓期だから、董卓の意向がどのように働いたか)、そして献帝期を後世から見たとき、その結果はどうだったか。論じてみたら楽しいかも。
@fushunia さんはいう。共伯和という人物は、孫呉が滅亡する280年の前後に出土した戦国時代の竹簡史料『竹書紀年』より、はじめて「発見」された人物だったかと記憶しております。
ぼくはいう。共伯和が認知されたのは、西晋のときなんですね。となると、董卓や劉協は共伯和を「知らない」と。ありがとうございます。勉強になります。
@fushunia さんはいう。皇甫謐は、竹書紀年出土から数年して死んでるらしいのですが、半身不随?の皇甫謐も竹書の情報を知っていたのでしょうか?『呂氏春秋』にしましても、後世の文章が入った?はともかく、当時から共伯和とあってもその意味はよく分からないまま読み継がれていたのか?と思います。
@fushunia さんはいう。おっしゃる斉の宣王は、中公や講談社で世界史、中国史の概説書を執筆した平勢隆郎氏が「実在しない。威宣王とビン宣王の事績として、分割するのが正しい」と主張され、もういなくなりました(笑)この説、私は信じていないですが。http://edo.ioc.u-tokyo.ac.jp/
edomin/edomin.cgi/shiki/_t3evKE1.html


管仲と鮑叔の関係は、実際にはわからない。政治的な同盟者か。宋襄の仁をやらなくても、楚国は強大なので、宋襄公は負けた。しかし蛮夷に負けるのは悔しいので、負ける理由がほしかった。臥薪嘗胆は、呉越がどちらも滅びて時間がたってから作られた。
奇貨をおかれるべき秦王の子楚は、年齢順でも穏当な後継者であり、重要人物だからこそ燕国に人質にいった。呂不韋の先行投資のおかげではない。一字千金といわれる『呂氏春秋』だが、わりと玉石混淆で、直すべき箇所がおおい。
陳勝や呉広がなにを言おうが、「燕雀いずくんぞ」とか言おうが、記録に残るはずがない。「王侯将、いずくんぞ種あらんや」は、ほんとうに血統のいやしい劉邦をほめるため、後世に膨らませたセリフ。秦末は、戦国の諸侯の子孫の時代である。
「四面楚歌」なんて、だれが記録するんだよ。みんな死んだ。

など、このように史書を「台なし」にする本なのです。

史料批判と事実の解読、という苦行はやめよう

落合氏は、これらの作り話を、たとえば歴史教科書が踏まえていることを批判している。ちょっと冷静に考えればウソだとわかるのに、字面どおり、鵜呑みにするなよ、という話。
しかし、落合氏のような史料批判を経たところで、それって楽しいのだろうか。けっきょく「不可知だなあ」に陥って終わりである。もちろん、科学的には正しい態度なのだが、窮屈な苦行である。
ぼくがいま使った「科学的に正しい」とは、「政治的に正しい」と同じような語感を持たせたつもりです。反論の余地はないが、それを言われても思考が起動しないなあ、っていうか、正しさを自分の腕力だと履き違えて他者を批判する人々とは、距離を置きたいなあ、という態度です。

毀誉褒貶という、せまい発想はやめよう

これらの作り話を読むときに、『春秋』の筆法を想定する、という分析方法がある。つまり、これらの作り話が、当時の政権を賛美して、当時の政敵を排撃するものであると。
たしかに、そういうこともあるでしょう。
陳寿『三国志』を読むときは、西晋と司馬氏をほめるために、配慮するために、そして秘密裏にけなすために、どのような筆法を用いたか、ということが気になる(こともあった)。
しかし、それって、
あまりに効率が悪くないか。主張をしたいなら、しっかりと主張をすれば良い。もちろん、逸話に仮託して、豊富な比喩を活用して、真意をひっそりと滑りこませる、、ということが、ムダとは言えない。しかし、毀誉の意図のために、上記で落合氏が史料批判したようなウソ話が、量産されるものだろうか。かつ保存されるものだろうか。
損得というのは、もちろん重要な動機づけになるのだが、なんだか説明としては、不充分な気がする。

どんな芸術作品を見ても、どんな親切を受けても、「だれかを褒めて、だれかを貶している」という二元論に還元するようでは、おおくを見落とすだろう。っていうか、そんな発想をするヤツって、あんまりおもしろくない。
『春秋』の筆法という技法は、もちろん認識しつつも、もっと違った読み方をしたい。落合氏の言うように、これらの史料を「過去の事実」と見なすことは、とてもできない。しかし、例えば、あらゆる絵画を「写真と比較すると、狂いがあるからダメ」という尺度から切り捨てていけば、おもしろくなくなる。
せっかく歴史に興味をもった甲斐がない。

有史時代の歴史書すら、神話である

落合氏が爆死させていく史料は、もはやレヴィ=ストロースが分析対象とした、神話そのものだと思う。ぼくらは、「何が彼らに神話を語らせているか」「神話のなかにはどういう構造があるか」「神話を語るとき、人類はどういう思考をするか」「神話の思考には、どのような普遍性があるか」という問題に取り組んでいけば良いのだと思う。

殷墟の発掘と、『史記』に記されている殷家の事件とは、切り離して考えましょう。そろそろ、それをやっても良いはずだ。比定の否定である。比定からの卒業。
たとえば、ある家族の家屋を外からながめて、地図にマークすることと、その家族がつけている日記帳とを比べて、「家屋が存在するのだから、日記帳の内容はすべて真実である」と断定したとする。この調査と断定の作業は、いったい何をやっているのか、まったくワケが分からない。
ある苗字が表札に記されていることと、日記帳に登場する人物の苗字が共通することをもって、日記帳の内容をすべて事実と見なすべきか。まさかね。
ぼくの比喩が下手なのも手伝って(すみません)、ほんとうに、思考が斜め後ろに飛んでいる。ともあれ、物的な証拠と、史料に現れる人々の営みは、かなりゆるい相関しか持たない。
たしかに、殷墟という物理的な場所の上で、何らかの政治や生活を営んだ人々がいたのでしょう。しかし彼らが、何を見聞きしていたかは、殷墟からは、ほぼわからない。また、『史記』に託された殷家の神話は、事実の復元には、ほとんど役に立たない。

殷家はどのような知的な欲望の対象として、語られてきたか。彼らの伝承が、どのように変遷したか。そういう「物語りの対象」としての殷家に興味がある。
それどころか。
いまは殷家を事例にしたけれど、さらに「伝承のなかの存在」として純粋なものに、夏家がある。それのみならず、史料がおおくて「信頼できる」とされる漢魏ですら、その史料を神話として読むことが、楽しいのではないか。『漢書』は、下手に記述が充実している(ような気にさせる)ので、科学的に安心できると錯覚する。しかし、2百年のあいだの天下のできごとを、たったあれだけに詰めこむ(象徴化する)には、かなりの「物語り」的な思考が必要である。
神話集『漢書』、神話集『三国志』、神話集『後漢書』として読んでみよう。そうすると、落合氏がきらったような、記録されるはずのない台詞が、語りに不可欠なものとして、必然性を帯びる。
「死者や神仙が出てくるから、怪力や乱神が出てくるから、神話くさい」のではない。いかにも歴史的な事実として書かれている、本紀や主要な列伝こそが、まさに典型的な神話なんだと思う。
建国の過程、君臣の交流、などは神話の恰好の題材である。
落合氏が「史料から、過去の事実を読解するのは、よほど難しい」と、わかりきったことを、わざわざ強調してくださったおかげで。ぎゃくに、史料に向きあう態度について、方針が固まったような気がする。
きっと史料を編纂して保管してきた人は、キリスト教と近代科学に由来する「実際はどうであったか」なんて窮屈なことを、考えてはいなかった。べつの目的(というより「べつの興味の持ち方、楽しみ方」によって)史料と付き合ってきた。ぼくらもまた、彼らの目線に寄り添うことを、考えてみてもいいと思う。

ぼくは思う。史書を批判して「密談や全滅した軍の内情が記録されるのは変」というのは、千年来の、史料の読者の諸先輩に対する2つの誤解がある。
1つ、史料はサイエンスの素材でない。却って歴史学が当初想定とは違う用途で史料を読んでるだけ。歴史学のほうが、史料の不当な借用だと言えるほどだ。2、明白な矛盾に気づかぬほど先人はアホでない。やはり読み方の違い。
読者の諸先輩は、「科学的な観点から、実際はどうであったか」という意図に基づいて、史料を書いてなんかいない。またその意図に基づいて、史料は読まれてこなかった。科学的な観点から史料を読み、内容が「科学に照らして正しい」なんて判断を下すほど、頭が単純であるはずがない。だから保存されてきたのだ。もしサイエンティストばかりなら、史料は誕生せず、受容もされない。味気ない。


夏殷周の歴史とは、いわゆる日記のような記録ではない。やっと漢字を取得した戦国の諸侯が、記録することによって、はじめて生成した神話の登場人物なのである。平勢隆郎氏は、神話なんて言い方はしていなかった。しかし夏殷周とは、事実そのものの記録ではなくて、事後的に語り出されたものであるということは、強調されていた。読んでから1週間をへて、ぼくなりの言葉に、バグッて変成しているけど。
夏殷周がそうであれば、語る者ではなく、語られる者としての戦国諸侯もまた、神話のキャラである。始皇帝だって、劉邦だって、そうである。なんらかの事実を聞きかじったとき、神話的に加工せずにはいられないという懲りない習性を持った人々(すなわち、ぼくの直系の祖先)によって、史料はつくられた。じゃあ、なるべくそのまま、味わってみたい。

同じ用途のもとでのテキストの成長

愛知県にある桃太郎神社は、なんなのか。むかし桃太郎がいて、その過去の事実が記録され、桃太郎の昔話にまとめられ、その根拠となった史跡が発見された、、という順序ではないだろう。桃太郎の話が先にあって、その昔話の語り方&楽しみ方のバリエーションのひとつとして、史跡が事後的に「発見」されたのだ。
桃太郎は事実か否か、を詮索するのは、ヤボである。
おなじことが、じつは『三国志』についても言えそう。夏王朝と桃太郎は同じだが、『三国志』と桃太郎は違う、というのは、片面しか見ていない意見だと思う。どちらも、レヴィ=ストロース的な神話としては、同じだよ。
べつの話。
宮城谷昌光氏の小説は、もともと物語として、断片的に語られた古代の史料を、彼なりに膨らましている。これは、神話が生育する好事例として、とてもおもしろい。個別の作品の良し悪し(ぼくが楽しく読めるか否か)とはべつにして、分析の対象としてはおもしろい。
たとえば『春秋』や『史記』を小説にアレンジすることは、テキストの用途の変更ではない。もともと語りとして出現したテキストを、さらなる語りに膨らましているのだ。だから「小説であって、事実じゃない」「作者による創作はどこまでですか」なんて、狭量では困るのだよ。
宮城谷氏の小説から、歴史的事実を見つけることができないが、それは同じ意味で、『史記』や『春秋』から歴史的事実を見つけることもできない。また、宮城谷氏の小説から、神話の増殖過程を楽しむことができるが、それは同じ意味で、『史記』や『春秋』から、神話の増殖過程を見つけて楽しむことができる。

だれもが気づくウソをつく理由はない

落合氏が(ご立場の上からも、また出版社からの希望からも)、典型的な史料批判をやってくださったので、ぎゃくに思考が活性化した。落合氏が切り捨てた部分にこそ、神話の旨味がつまっていそうだ。
落合氏は、平勢氏のいう『公羊伝』は斉国が自己正統化のためにつくったという学説を批判して(批判を引用して)いう。『公羊伝』は、数千年も読まれてきた。そのあいだに、平勢氏をのぞいて、『公羊伝』が斉国を正統化するという読み方をした者はいなかった。誰もそのように読めないのに、『公羊伝』が斉国を正統化する、というのは話がおかしい。

ここでぼくは思う。
『史記』を読んで、たとえば乱戦のさなかの会話が、記録されないことは、誰にでもわかる。また、まったく他者を排除した密談が、史料に残るのはおかしいということも、誰にでもわかる。そこまでバカじゃない。教科書の編者は、これまた立場上の要請によって、妥協的に「バカ」を演じたかも知れないが。
これだけ多くの人が、それこそ数千年にわたり読んできたテキストが、「ウソくさいから、つまらん」と切り捨てられなかったのは、なぜか。ぼくらに訴えかける人類学的なテーマが、史料のウソ話のなかに含まれているからだろう。ぼくら読者は、べつに狭義の近代的歴史学をやるために、あのテキストを読んできたのではない。
(日常生活のノウハウを獲得するために読んできたのでもない)
読者としての先人たちに敬意をはらい、先人たちが何に熱中したのか、考える。バカならざる先人が熱中したには、相応に理由があったと見なすべきだ。それには、神話分析という視点が有効だと思う。

というわけで、やりましょう。
シンワ、シンワ、と連呼するだけで、具体的なことは、何もしていないじゃないか、と思う。しかし、まずは意気ごみと見通しだけでも。130530

ぼくは補う。『春秋』の実質的な覇者は、斉桓公、晋文公のあと、韓魏趙に分割されるまで、ずっと晋侯だという話を読んだ。つまり強国の晋侯が「曹操」のような役割だったと。多彩な五覇を設定するのは、各論者が主張の根拠を求めるからで、権勢だけ見ればずっと晋侯が中心だと。春秋時代の見通しが良くなりそう。

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2010年版の感想/歴史書のおもしろさ

ここからは、3年前に立ち読みしたときの感想。
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落合淳思『古代中国の虚像と実像』講談社現代新書
を読みました。びっくりした!

今回はこの本の感想を書きながら、
歴史書って面白いなあ、ということを云いたいと思います。

本の内容:すべてウソだ!

歴史書をつかまえて「これはウソだ!」と、決めつける本。
歴史書の「おもしろい」部分は、たいていは創作だと。
平坦で「つまらない」ことこそ、真実なのだと。

『三国演義』を、正史(もしくは、自分が科学的だと思っている基準)と比べて、不一致たる部分を、切り捨てていく態度です。これを、自分よりファン歴が短い人の前でやると、1回目は、痛快。2回目は、優越感。
・・・3回目で、飽きる。笑
著者は、おそらく出版社の要請で「番外編」として、『三国演義』を批判していました。著者の専門外だろうが、切り口は同じだと確認できた。


感想1:今さら客観なんて求めないでください

ぼくは、次のことを、当たり前だと思っています。
「絶対の客観など、あり得ない」
これを踏まえ、
いかに面白く、自分なりに考えるかにこだわります。

「客観的に、私が考える」なんて、そもそも矛盾なんだ。
っていうか、18歳のころに解決した話題を、なぜ、いま再び、ぼくは書いているのだろうか。笑

しかし著者は、厳密な客観がどこかにあるはずだと、
純粋な子供のように、信じているらしい。

著者は「受験英語」という揶揄にからめ、「受験歴史」と批判する。中学や高校で習うけれど、使い物にならないウソ知識だと。
たしかに学校教科書に課題は多い。しかし、唯一絶対の真理があると、いちおう想定している点で、著者の態度は、中高生と同じだと思う。

「私の主観」を「客観」と言い換えているうちは、
何も生み出さないと思うのです。

感想2:批判ができて、当たり前

概して、すべての論述に対し、反論することが可能です。

今日の帰り道に考えたことです。歴史に限らず、全てのことについて、これが当てはまると思います。ああ言えば、こう言う、という感じで。
はじめに何かを言った側は、現状の均衡を崩したくて、論述したはずだ。現状のままでいいなら、家で寝ていればいいのだから。
当然、論述した人は、誰かから反作用を食らうことになる。

これについて、今さら「新発見だ」と騒ぎ立てたのが、今回の本だと思います。
べつに目新しくも何ともない。

「殷の暴君が酒池肉林しなかった」という指摘は、アマゾンでさんざん叱られているように、べつに目新しくない。でも、そんなことはいいのです。研究や著作活動は、先人からの拝借で成り立つのだから。
それよりも「あれにも、これにも、反論できるぞ。すごいだろ」という、話のフレームワークの古さが、とても残念です。最新でない。笑


っていうか、史料批判するのは、研究者の仕事だ。
それを誇られてもねえ。

モチ屋が「聞いて驚け。オレは、モチを売るのだ。どうだ、すごいだろ」と粋がっているに等しい。大切なのは、どんなモチを、いくらで売るかなのにね。今回の本では、言及していない。
著者がどんなモチを提供する人か、知らぬうちは、何とも云えない。


歴史書の面白さは、残存していること

誰かが、何かを書く。書いたものを、誰かが残す。
ここには、必ず目的があります。
意識しようがしまいが、誰かの思いが混ざりこみます。

いわゆる「正史」に認定された本は、古いにも関わらず、たっぷり読める。しかし、同時代のほかの類書は、ほぼ残っていない。良くて、切れっぱし。対比すれば分かることだが、ある本が「正史だ」と認定されるだけで、ものすごい保存のコストを、払ってもらえる。
この一事だけを以てしても、ぼくはテンションがあがる。

そうした「思い」の介在を暴き、断罪することに、
どれほどの意味があるのだろう?
ほぼ、意味がないと思う。
っていうか、正史に関しては、そんな手法は、使えないと思う。

ハプニングで出土した史料は、力んで「保存」の意図を探す必要がないと思います。正史に比べれば。


著者がやりたい意味での、客観的な歴史学は、こと中国古代史については、できないのだと思う。もっと多面的な証言が取れる(かも知れない)日本現代史でも、やったらどうだろうか。過多な情報に飲みこまれ、泳ぎきってこそ、楽しかろう。
中国古代史をやるならば、「歴史資料」とも「文学作品」とも割り切れない、微妙な位置づけの文字群と、戯れなきゃね。

『史記』をまっこう否定して、夏王朝や、始皇帝の事実を探す。これは、砂漠で深海魚を探すに等しい。


著者は、たとえば『史記』の伝承を批判するものの、代替案を出せない。それもそのはずで、『史記』が残っていることが、異常なことなんだ。代替案が出せないのは、著者のせいではない。
しかし人情として、
他人の否定ばかりして、代替案を出さない奴とは、付き合いたくない。気分が悪くなるだけだ」
ってことになる。だから著者は、アマゾンで叩かれる。

アマゾンで、この本を叩いた購入者は、まったく新しい始皇帝像を、見せてくれることを期待したはずだ。っていうか、そのように出版社が宣伝をしているからね。だが、そんなものは、ない。
そりゃ、最低の読了感になるでしょうよ。。

ご提案:歴史書の空白、妄想のすすめ

著者は、陳寿『三国志』は、それなりに信頼できると書いている。相対的に『史記』よりは安心できるかも知れない。

内容の妥当性を、比較・検証するための、他の史料が残っているから。

でも『三国志』のことばかり考えているぼくは、まったくそーでもない、と云いたい。まあ、それは置きましょう。笑

中国の文筆家が、全員でグルになってウソを書けば、後世のぼくらは騙されるしかない。だから「信頼できそうにない」のだ。
「騙してやろう」という積極的な悪意はなくても、皇帝による支配の下で書かれ、保存されてきたものは、現代のぼくたちから見れば「騙し」に等しいかも知れない。


『史記』でも『三国志』でも、読めることが、むしろ不自然な異常事態だと言っていいほど、古い本だ。

史料の中身を検討する前に、「どんな経緯で、なぜこの史料が残存しているか」を考えるべし。史料の性格が決まる。読み方が定まる。
兵庫の山奥で古文書を整理する合宿をしたとき、習ったことです。

こういう本を、どう読めばよいか。
「内容を批判したものの、代替案がない」
というシチュエイションに、おおく出くわす。それならば、開き直って、妄想すればいいじゃないか。手元にある材料を、ふんだんに使って、膨らまそう。
もし、既存の史料と違うことを云うなら、理由を示して、いちいち説明をする。他人に検証してもらえるよう、足跡を見せる。

ぼくは袁術について、この1ヶ月くらい考えています。この態度です。袁術につき、完成を目指しています。

そうすれば、研究論文にはならないが、アマゾンの評価者たちが、出版社に裏切られた(のと同じ種類の)知的好奇心を、1ミリでも満たせるものが、書けるかも知れない。生産的だ。
敵を作りまくるより、楽しいと思うのだけれど。100524

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