雑感他 > 日本における三国志「正史」受容の態度について

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解説本を読んで、史料を読まない中間層

きっかけのツイート

以下のツイートを読みました。

NPO三国志フォーラム @sangokushiforum
『三国志』もしくは「歴史」や「史学」というべきところを自然に「正史」と言ってそのコミュニティ外の人に意図が伝わりにくくなるのは、シャーロキアンが原作をカノン(正典)と呼ぶファン心理と通底するのかな、と。尤も後者はよく知らないが、ここらへんの「正史」受容史は研究対象として興味深い。


この問題について、思うところをツイートしました。

「三国志の解説本」という言論空間

「正史」受容史の件。
ぼくが三国志に興味を持った2005年くらいに、吉川英治・陳舜臣などの小説を読んだ後、陳寿のちくま訳には手が付けられず(紀伝体は難読)、新刊や中古の解説本を片っ端から読んだ。学研の歴史群像とか、高島俊男「きらめく群像」とか。
この解説本のなかで、「正史vs演義」という二項対立の思考が埋め込まれ、かつ「演義ではこうだが、正史では」という話法が身につく。これらの解説本が、そういう書き方をしているから。

じつはそういう書き方をしていないのかも知れない。でも少なくとも、ぼくはこの段階で、演義と正史を対立的に捉える、という思考が身についちゃった気がする。

解説本に従い、「正史準拠」らしき人物像を覚えてゆく。劉備は徳だけの人ではない、三顧の礼はなかった、夷陵の戦いは関羽の仇討ちでない、劉禅は実は有能とか。でもこれらは当然、仮説の1つ。あと、じつは袁術はバカじゃないとか。

史料を読まない、厚い中間層

『演義』寄りの作品群を受容・批評する人と、自分で正史の原文を吟味する人の間に、三国志の解説本を片手に「正史準拠」の議論をしたがる中間層がいて、けっこう厚そう。

この中間層が次に「おかず」にするのが、ネット上の三国志サイト。ぼくのところも、そういった「正史準拠の中間層」が見て下さっているかも。

ぼくも初めは、「演義ではこう、正史準拠をうたう解説本ではこう。だが実は……」という思考パタンでサイトを作ってきた。演義や創作ではなく、正史でもない、「正史準拠」という世論のようなものが、三国志ファンの共通了解としてある気がする。「詳しい」ファン同士の談義も、この共通了解の確認と調整か。

この中間層を定義するなら、「自分で正史の原文を読まない」というところに重要なポイントがある。
誤読しまくりでも、自分で漢文を吟味するならば、ぼくがここで言っている中間層にあたらない。誤読に基づいて恣意的な解釈をしても、それは「読み方が誤っている」だけ。史料を読まずに、「正史準拠」の世論を操作している人たちとは違う。

言わずもがなですが。っていうか、ネットだからこんな注釈を付けようと思ってしまうところが、自分にガッカリなのですが。「正史を自読する人が上で、それ以外の人が下だ」と言いたいのではありません。人それぞれの楽しみ方があると思います。……はあ。


「名士」論に対する批判の観点

渡邉義浩先生の「名士」の話も、ここに書いたことと同じです。
中間層は、「個人の学説を、解説本に反映しないでほしい」という怒り方をする。これは学説の内容に対する批判でなく、「みんなで形成すべき『正史準拠』という世論を、権力的な仕方で作り替えないで」という態度表明。正史を自分で読まない人々にとって解説本は公共の場だから。
日本人は学説に触れると、「あの学説は妥当か」ではなく「あの先生は有名か」と聞く(というジョークがある)。三国志の正史受容も同じ。解説本という出版物に「正史準拠」の世論があり、その世論に登録された否かを、キョロキョロ確認する中間層がわりに厚い。史料を読まず、有名度を確認しあう。

中間層と「語りあう」ことの困難さ

ファンが、「あつく語りあう」というのが、娯楽としてあるらしい。混じって語りあって、あんまり楽しかったことがない。というか、途中から逃げてしまう。
初期は、「だれだれが好き!」という態度表明と、連呼になる。これは楽しい。「こんなマイナーな人物が好きなんだ」と紹介されれば、「誰でしたっけ。どこから好きになったんですか」と話ができる。しかしこの話題は、あんまり長持ちしない。

つぎに、なぜか人々は、「正史準拠」の世論を調整することをしたがる。「オレが読んだ解説本によると、『演義』というのは実はウソで、正史では、こういう人物なんだ」と。
史料に基づいて話すのではなく、解説本 vs 解説本という討論が起こる。

くり返しますが、「史料を読めば偉い」と言いたいのではありません。

エスカレートすると、「解説本によると」と、という言葉が吹っ飛ぶ。「オレによると、『演義』というのは実はウソで、正史では、こういう人物なんだ」という話法になる。
借り物の討論なので、あんまり話が続かない。

「仮説-その根拠」というパターンで、話が組み立てられていないので、話を掘り下げようにも、どうにも進まない。議論の形式しては、「『蒼天航路』の夏侯惇って、かっこ良いよね」、「いやいや、オレは曹仁のほうが、おもしろし描かれ方をしている」、「いやいや、夏侯惇でしょ」、「ちがうよ、曹仁だ」、という平行線と同じ。

吉川英治と『演義』受容の歴史

にゃも @AkaNisin
「正史では演義では」思考は、「演義」受容が広く行われてきた名残。「演義」が一般に広く受容されてきたからこそ、それに対して「正史」という新しい三国志観を売り文句にしたんだと思います。これそのうち「正史では無双では」に変わってくかも...


このツイートを受けて、ぼくは思います。
ぼくが「演義では」と言うとき、演義(含む翻訳)を想起しておらず、初めて長大な三国志に触れた、吉川英治を想起しています。演義と吉川英治を同一視する態度って、誰にでもありそうで、分析対象になり得ると思います。「吉川は独自性に乏しく研究対象にならない」という言説も同根です。

『演義』と吉川英治の同一視をしているのが、ぼくだけだったら、ごめんなさい。みんな、『演義』の翻訳を読んで、吉川英治との差異を頭に入れた上で、「演義では」と言っているなら、ごめんなさい。

さらに白状すると、
ぼくが「演義では」というとき、吉川英治ですらないこともあります。三国志の解説本にある、「演義では、正史では」という言説に引用されたところの「演義」の内容だったりします。
つまり、解説本が、「演義では、劉備は徳の人だけど、正史では戦略家で」と書いてあるとします。すると、演義を熟読したわけじゃないのに、「演義では、劉備を徳の人とするが」と、無断で引用してしまったりします。

ツイートに返信をいただきました。

にゃも ‏@AkaNisin
演義と吉川の同一視ですが、たぶんこれは主に『演義』側に原因があると思います。白話小説の知識がない一般の人には、『演義』のストーリーをそのまま踏襲する吉川は『演義』と区別がつかないのでは。

なるほどー。たしかに、そうだと思います。
また議論が続いたら、書き足します。140518

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