蜀漢 > 『三國志13withPK』プレイ日記_劉備の子・劉譲として

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196-198年 汝南太守となる

三國志13 with PKを買いました。そのプレイ日記です。これまで、PS2で何作品か、かるく着手したことがありますが、クリアしたことはないです。何をしたらよいか、よく分からなくなって。ネットのレビューなどで、この作品が、そこそこ面白いようだと知ったので、やってみることにします。
位置づけとしては、『三国志』について、そこそこ読書歴のある者が、はじめてきちんと、シミュレーションゲームの『三國志』をやりながら、思ったことを書き連ねていく日記です。いろいろ便利だと聞いて、windows版を買いました。
ネットを見ると、画像や動画を、ゲームから引用している人がけっこういますので、ぼくも同じことをします。ふつうに購入して、個人で楽しんでいるのだから、いいのかと。詳しいことは分かりませんが、怒られたら消します。

劉備の子を作成

英傑伝(チュートリアル)の桃園結義。劉備と張飛が、セリフを喋ってくれますが、自己紹介するとき、「姓は劉、名は備、あざなは……」、「姓は張、名は飛、あざな……」と、言ってます。「劉備です」「張飛だ」でも良さそうなのに。文章語を音声にされると、ちょっとおもしろい。
それはさておき、
劉備と曹操の英傑伝を1つずつやって、とりあえず本編を遊び始めます。既存の人物でも遊べて、自作もできるみたい。おそらく、曹操・劉備の周辺の人物だと、いろいろイベントとか見られそう。史実では、早死にしたであろう劉備の子を作ってみましょう。これなら、劉備をすぐそばから見られる。
前漢の高祖劉邦に捨てられた子(のちの恵帝)は、劉盈。うーん、漢字が難しい。劉禅と対応させるために、劉譲にしよう。Wikipediaで調べたら、後漢に背いた人物とか、劉備の祖先とかに存在するらしいけど(どうせ後付け)、まあ、それっぽいのでいいかと。あざなは、劉備の子である、劉禅・劉永に、「公」字があるから、これをマネて。あざなの2字目は、てきとう。
195年の群雄割拠から登場させたいから、181年生まれ。劉備との年齢は、20歳差だから、妥当なところでしょう。
顔は、なんとなく、劉備に似てる?気がするものを。

能力は、劉備と同じにしようか。でも、文官で遊びたいので、劉備の武力をマイナス20にして、劉備に知力をプラス10、政治をプラス10。合計では、プラマイゼロに。ちゃんとやったことないので、能力値の足し引きにどれくらい意味があるのか、不明です。結果として、統率80、武力57、知力87、政治90。きっと、かなり甘めな設定なんだろうけど、「クリアできなくて飽きる」よりは、これぐらい、おそらく高めな能力で、はじめてのクリアを目指します。
特技は、劉備のもっている合計値を変えないように、てきとうに割り振り。これも、かなり高めの能力なんでしょう。



195年秋:下邳で行動開始

195年7月の小覇王のシナリオ。さっき作った劉譲を、劉備の勢力に配置。15歳。これ以外に、なにを準備したらいいか分からないので、とりあえず始めてみます。難易度は、もちろん下げて。
劉備が呂布に、小沛を割譲したところから。すぐ隣に、呂布がいる。なんか、いきなり困った場面からです。
季節に1回の会議にて、劉備が最初に出した指示は、小沛の呂布軍を攻略すること。攻略するなら、もともと割譲なんか、しなければよかったのに。

関羽から、「劉譲殿は、任務がないのね。立候補しろ」と、さっそく怒られる。関羽に叱られるなら、それは、義に照らして、仕方ないなあ。もしくは、ゲームの進め方を、ほんのりガイドしてくれているだけか。
しかし、すぐには任務につかない。このゲームは、人間関係が大事らしい。任務に立候補するより先に、関羽さんのところを訪問して、親しくなっておこうと。劉備の子なので(相性?親交?を劉備とイコールに設定したので)、さすがに会ってはくれるけど、ちっとも打ち解けられない。価値観を近づけるためには、論議が有効らしい。論議するには、5日かかるらしいけど、関羽さんは忙しいらしく、断られた。
別の機会にしてもらえますか。

「籠絡」というコマンドがあるので、仲良くなるのに使えるかと思ったら、関羽を謀反にさそうというもの。絶対に聞き入れてくれそうにないし、むしろ斬られるので、これは選べない。
自分の心の内の声からも、早く仕事しろと言われるので、商業を提案。下邳を富ませる。甘めの目標設定でも、さすが、父の劉備は聞き入れてくれる。史実では、下邳をすぐに失うけれど、とりあえず本拠地なので、富ませないと。
商業は、麋竺が協力してくれてる。これなら、15歳で、武将未経験の自分でも、やれそう。しかも!市場で、同じ任務についている陳羣と、仕事について話が盛り上がり、親近感。劉備は、陳羣のような知識人を、味方にできなかったから、領土を維持できなかった言うじゃないですか。これは、親しくなるのが親孝行。できれば、下邳をずっと本拠地にしたい。
陳羣は、いつも書翰をもってる。これ、チクワなんだっけ。任務もそこそこに、せっせと陳羣のもとに通っておく。でも、5日間かかるという論議は、陳羣にも断られてしまう。これ、ハードルが高いらしい。

下邳で、せっせと商業をしてると、イベント。献帝が長安を脱出。曹操のところで、奉戴の可否が議論されているらしい。堂々と反対する曹洪。立派です。遠いところで、重要なことが起きているのに、すぐに失うことになる 下邳を富ませて、どうするのか。じれったいけど、曹操が司空になるのを、指をくわえて見てるだけ。
195年8月、孔融が滅亡。まあ、曹操を頼るだけでしょ。袁紹が平東将軍に任命されたらしい。そんな低い将軍号を受けてるのが、すごいなー。

見ると、陳羣が農業に取り組んでいるらしい。自分も農業に、名のりをあげる。陳羣と近づきたい。とりあえず、それが目標。曹操が、献帝を奉戴したし、ますます、陳羣は、あちらに行ってしまう気がする。陳羣といっしょに働こうとしたら、「多忙」を理由に断られる。まだ、この世界(ゲーム)のルールが、よく分かっていない……。
195年8月、遠方では、魯粛が孫策の配下に。まじ、手を拱いているだけ。

張飛が酒を飲み、劉備が下邳を失う

195年9月、またもやイベント。荀彧が、劉備と呂布を対立させる計略を提案。いわゆる、駆虎呑狼の計。劉備は詔勅を受け、袁術を討伐するため、張飛を下邳の留守に残す。張飛は、酒を飲んで曹豹を殺し……。
これは、無力感しかない。。イベントの発動が、けっこう強引だとは、ネットで読んでいましたが、かくもあっさり、下邳を失うか。指をくわえて、クリックしていくしかない。

張飛が自殺を試みると、劉備が、「兄弟は手足、妻子は衣服」といって、張飛をかばう。そうかも知れないけど、とりあえず現在、劉備の子としてプレイしてるので、このセリフは困る。子供の立場にもなって、考えてほしいものです。
脳内補完では、このとき自分=劉譲は、劉備に従軍して、袁術と戦っていた。だから、張飛が城を失っても、自分が死ぬことはなかった。

呂布と対立しているという、曹操を頼ってゆく。なんと劉備は、曹操の故郷である、譙県を領土にもらったらしい。このゲームの性質上、もしも、曹操に臣従するのでなければ、てきとうな領土が必要なのでしょう。それにしても、譙県をもらえるなんて、嬉しい。下邳より、こちらのほうが良かったんじゃないか。
いつのまにか、劉譲は太守の身分になっており(ほんと、いつのまに)勢力の方針を決める会議にも、出られるようになってる。というか、劉備集団が壊滅して、自然と席次が上がったというほうが、本当かも知れない。
麋竺が、となりの空白地である、汝南を攻めようと提案した。空白地というより、黄巾の巣窟だと思われます。麋芳の意見は異なり、譙県の内政をやっとけという。
自分=劉譲も意見を求められたので、麋竺を支持して、麋芳を却下すると表明。麋竺に歓んでもらえた。間接的に、関羽からの心証も良くなるのでは(麋芳は、後年、関羽を裏切るので)
関羽・張飛、そして陳羣(なんと彼も、劉備に付いてきていた)も、麋竺に賛成。というか、全員が麋竺に賛成。こんなに辱めたら、麋芳は、史実よりも早く裏切ってしまうのではないかと心配。 と思ったら、劉備だけが、麋芳を支持。麋芳の言うとおり、内政をやれと命令。麋芳の面目をつぶさぬことを優先して、戦略を誤ったような気もするぞ……。

195年冬:譙県から汝南を攻略

臣下の全員が賛成し、劉備だけが退けた、麋竺のアイディア(汝南攻略)を、自分が、権限を行使して実行する。なぜか太守になっているので、その権限があるみたいです。一族の者を、やたらと高い地位に置くのって、劉備さん(父さん)、どうなんだろう。
劉辟(黄巾)が、説得されて登用されたらしい。いい傾向! 劉辟が、騎馬の訓練をしたいと、遠征先の汝南まで提案にきた。いい傾向! そうこうしているうちに、10月、汝南を征圧。そして、自分が汝南太守を引き受けました。ってことは、いままで、任地がないけれど、太守の職位をもらっていたのか? あてなき遙領だったが、汝南を統治することで、名実ともに太守となった。

そして、新任の太守の自分に、父の劉備から命ぜられたのは、寿春の袁術の攻略。いきなり、できるのか?そんなこと。まだこの時点で、袁術は、皇帝を称していないし、曹操に大敗してないから、強いんじゃないか。
またもや空白地の新野を攻めてもいいらしいので、新野にいく。汝南に配置された人材のうち、臣下の筆頭は、さきほどの劉辟である様子。史実の劉辟は、官渡の戦いのとき、汝南にいて、劉備と手を結んだ。いちおう縁があるから、味方してくれると考えよう。11月をかけて、劉辟が新野に遠征。自分は、汝南に残っている。

荊州の北部は、さっき、曹操と張繍が戦っていたし(典韋・曹昂を失うイベントも見た)、下手に介入しない方がいいのでは。
というか、現在の劉備は、袁術に対する、曹操のための防御壁に使われている気がする。だいじょうぶか。さらに、劉表・張繍に対する、曹操のための防御壁にも使われていないか。空白地を、調子に乗って攻めてるけど、曹操のための緩衝材になっているだけでは。
……劉辟が新野を攻略するのを見守りつつ、1年目が暮れました。

196年春:陳羣・許褚を部下として使う

譙県で、陳羣の説得により、許褚が登用されたそうです。曹操の本拠地で、曹操のもとにいくべき人材を、劉備が食っていく。いい傾向。このまま陳羣には、どんどん人脈を利用して、劉備軍の強化に努めてもらいたいものです。
自分が太守を努める汝南で、陳羣・許褚が部下として配置されてた。陳羣には、すごく高い目標の農業を指示。陳羣に命令するなんて、たかが16歳の劉備の息子が、やっていいことなのか。
3月、自分が牙門将軍に任命された。ついに、将軍号!

難易度を下げすぎたのかと思いきや、まだ空白地の攻略しかやってない。ほかの群雄と戦って始めて、難易度について、コメントできるでしょう。
今年の春の功績は、陳羣がトップ。有能なひとに、難しい仕事を丸投げして、配下にもどんどん偉くなってもらう。けっこう、いい循環なのでは。でも、劉備勢力のことだから、領地も人材も、イベントで強制的に召し上げられるのだろうか。

汝南に居座っているから、汝南の人である呂蒙が仕官してきた!潁川につぐ、人材の名産地にいるだけで、どんどん勢力が飛んでいく。このゲームって、こういうのを、何もせずに見てるだけで、ニヤニヤするものなのか?
何もせず……というか、この文章を、まさに打ちながら、眺めてます。

……と打った矢先、張繍軍が、新野(今年春、空白地だったところを、劉辟に征圧させた)のそばの、舞陰に来ているそう。初めての群雄との戦いは、張繍!
やはり、曹操の防御壁として、使役されている気がする。

196年夏:張繍軍と戦う

眺めていても仕方がないので、舞陰の張繍を自ら攻めてみる。どこから来たのか分からないけど、舞陰の戦いに、張飛が駆けつけてくれた。自分と劉辟だけで、攻略するつもりだったので、嬉しい。調べると、新野に張飛がいたらしい。
張飛が大将で12100、張繍が5000。何もしなくても勝てることを期待!
したけど、賈詡の画像がカットインして、何が起きたか分からないまま敗北。自分で操作する戦闘は、しないほうがいいのかも。足を引っ張るから。

196年秋冬:陳羣を内政重臣に

秋、陳羣を「内政重臣」に任命。なにをする役目か分からないけど、陳羣はだいじ。重要な役職につけておけば、離れていかないでしょう。という希望的観測。

親交も大事かなーと思い、張飛が長官を務める新野に来ると、張飛は、自分が撤退したあとも、ずっと張繍と戦っていた。自分が敗退したら、戦争自体が負けだと思っていた。でも自分が不在でも、張飛が、攻略をがんばってくれるのね。こりゃあ、ますます、自分が何もしなくて良くなってきた!
酒屋で受けた依頼で、江夏にゆく。張飛が戦っているのに、何をやってるんだ、という感じですが、よく分からずボタンを押してたら、江夏に行くことになったのです。どうやら、江夏の頑固者と、舌戦をやるミッションらしく。せっかく、知力に数字を振り分けたのだから、使わないと勿体ない。というか、弁舌のスキルは、頑固者をやり込めるためじゃなく、外交に使うはずだったのに。
っていうか、劉備にバレたら、役立たず!と、怒られるかも。

自分がウロウロしているあいだにも、陳羣が重臣として、いろいろ提案してくれるので、ラクラク。つねに、最高ランクの目標を与えて、検索を採用。
内政をちまちましていたら、劉備から、「袁術打倒」の勢力方針。

197年:袁術との戦い

隣接する袁術が、そろそろ史実だと皇帝を称するタイミング。ここで、叩いておきたい。しかし、汝南太守として単独で攻めても、きっと勝てないし。劉備軍を大動員する方法が分からない……。
しばらくすると、劉備から、「寿春を攻めるから、汝南からも兵を出せ」という命令。そうか、こういう命令を、待っていればいいわけね。下に働かせつつ、上からの指示を待って。とことん受け身ですが、とりあえず、ゲームを進めないと。

2月、寿春への途中にある、細陽を攻撃。采配戦闘をするかと聞かれましたが、ぼくが采配すると負けるので(だめじゃん)断ってみる。寿春に進むためには、さきにここを攻略しなければダメ。劉備がみずから参戦してるし、後ろから張飛がきたし(荊州から来たので遅参)、なりゆきに任せることにします。
袁術軍は、蒋欽が出張ってきている模様。しかし、兵力差がどんどんついてゆき、袁術軍の3倍以上になりました。時間の問題。というか、今回の戦いは、初めから自分は何もしていない。つねに、時間の問題ってことになる。


戦いに並行して、陳羣を孫策のもとに派遣して、国交を結ぶ。袁術を潰すためには、孫策と接近しておくのが良い。クリック1回で成功したみたい。さすが、陳羣。というか、陳羣がいれば、あとは、何とかなるのでは。

袁術軍は、いつのまにか紀霊も来てる。いつの間にかっていうか、ぼくが気づいていなかっただけ?細陽で袁術を破ると、袁術の皇帝即位のイベント。動作が不安定で、画面のコピーが取れませんでした。。どうやら、敗戦によって追いこまれると、破れかぶれで、皇帝になるというストーリーのようです。
史実で、曹操が196年秋に果たした役割を、劉備および自分が果たした。


「袁」から「仲」に、旗が変わったところは、芸が細かいです。
細陽(みんなが集まっているところ)を征圧したら、つぎは、寿春!……かと思いきや、袁術サマみずからが出陣して、手前の城(下蔡)に入りました。ここでも、一戦やらねばならないようです。皇帝になってから、スダレが懸かっています。
寿春から、仲軍を応援するために、呂岱が接近。こまる!
細陽-下蔡-寿春の順番で、3回の攻略を必要とするストーリー。


そして劉備軍は、197年7月、皇帝袁術に、敗退しました……。
皇帝になった袁術は、弱いんじゃなかったのか? こんなふうに負けたら、しばらく、動けない。孫策が、建業(劉繇)を攻撃しているらしい。時間をかけるほど、孫策が強くなっていく。それは困る。袁術の討伐の功績を、劉備が手に入れる権利が、あるのかないのか分からないけど、孫策には、負けたくない!


そんなこんなしているうちに、曹操との同盟が、残り1ヶ月しかないそう。まあ、いち汝南太守としては、きっと劉備が、曹操と同盟を更新をしてくれると期待!
むずかしい外交、勢力の生死を左右する方針は、本部のほうに委任するしかない。こちらは、おもに汝南を発展させることに注力する。劉備から命令が来れば、兵を連れて参戦する。

いつのまにか(こればっか)配下になっていた、沛国の劉馥さん。やはり、劉備が、史実の曹操の領土に、居座っている(もとは曹操から貸し与えられた)から、のちに曹操に属する人材が、続々と手許に集まってくるのだ。
劉馥が、兵糧をつかった、新しい商売を思いついたそうで、出せるだけの資金を積んで、支援。劉備から、軍備の充実を方針とするお達し。袁術と再戦するために、力を蓄えるしかなさそうな、197年秋。

そして、懲りずに、


出陣しているあいだ、陳羣が後方を守ってくれるので、とくに心配がないのが嬉しい。早くも、史実の曹丕の気分。
自分「陳羣の働きは、抜群の一語に尽きる」←本当のセリフ
いやいや、陳羣が群を抜くのは、おかしい。

と思いきや、汝南に隣接する汝陽に、曹操軍が入りました。これって、袁術と戦っているとき、曹操に本拠を衝かれるのでは……。曹操との同盟更新を、父の劉備は、怠っているのか?曹操に、「袁術を倒すんだから、協力してくれ」といえば、同盟を更新してくれそうなのに。
曹操は、197年10月、張繍を滅亡させました。着々と、勢力を拡げてる。
こちらは、袁術と再戦。このまま、泥仕合をしているうちに、曹操が勢力を拡大しそう。ともあれ、戦闘の采配は懲りたので(3分の1の兵力の張繍に負けた)、袁術との再戦もまた、委任した状態で見守る。兵力は、こちらが微妙に多いので(どちらも15000強)任せます。
下蔡で袁術と戦っていると、夏侯惇が、着々と、もと張繍の城を攻略。どんどん、隣接した城が、曹操のものになっていく。袁術と戦っている場合なのか?
袁燿(袁術の子)・紀霊を、劉備が捕縛したらしい。曹操の脅威が拡大していく一方で、下蔡の戦いは、いちおうは劉備軍に有利に推移しているので、、見守ります。見守るというか、これを打ってます。見ているうちに、198年となりました。

198年:袁術の滅亡

正月早々、関羽が、下蔡の城塞の破壊を開始。どうやら、寿春の手前の城も、劉備軍のものになりそう。いちおう、自分=劉譲(劉備の子という設定)も、兵を出して、戦ってるんですが、ぼくは操作はなにもしてないです。
1月28日、自分が下蔡を破壊し、制圧を開始。

……あれ?劉備をはじめ、主力の皆さまが、袁術との戦線から消えてしまった。どうやら、徐州方面で、呂布との衝突が始まった模様。自分にできるのは、下蔡をしっかりと征圧し、ちょっとした設備を築くことだけ。劉備が、ふたたび袁術との戦線に興味を持ってくれたようなので、父をお出迎えする。
というか、新たに占領した下蔡で、じっとしているだけ。

劉備軍は、13000。寿春の袁術は、16000。あと、都市が1つか2つしか残っていない、死に体の袁術を倒したい。しかし兵法では、城を攻めるときは、何倍もの兵力が要るはず。果たして、城に籠もった袁術を討てるのか。
という間に、孫策が建業を征圧。孫策との、袁術討伐のレースに、負けるわけには行かない。今年、袁術から奪ったばかりの城、自分が下準備をした下蔡において、劉備に体制を整えてもらい、いざ寿春へ。

自分も、劉備に遅れじと、198年夏、寿春に攻撃開始。
季節ごとの論功行賞では、自分がつねに外出してるので、あまり臣下(許褚・陳羣・麋芳)の功績が芳しくないが、仕方ない。ていうか、汝南の充実にそんなにマンパワーを割いて、曹操に奪われたりしないかしら……。
夏4月、恥ずかしながら、自分の兵糧が尽きてしまい、父の劉備を残して、寿春のそばから、許褚をつれて撤退。ごめんなさい、父上。力になれませんでした。すぐに汝南に帰って、軍を再編して、出直してきます。
撤退から、再出撃までは、1ヶ月もかからなかった。
……またもや、陳羣に後ろを任せ、ありあわせの兵力で、再出撃。そして、追いついた。自分がいないあいだに、劉備が敗走していたら、目も当てられなかった。采配戦闘をするかと聞かれるが、やはり拒否。なりゆきに任せる!

袁術とは、たがいに同じペースで、兵が減っていく。でもこちらのほうが、合計で1500くらい多い。ちょうど、自分が連れて駆けつけた人数分くらい、プラスになってる。このまま、並行して兵が損耗すれば、勝てるんじゃないかと、、やはり放置。

↑消耗戦の経過。
どんどん役者が去って、こちらは、劉備から関羽、関羽から張飛へ。袁術も退場して、最終的には、呂岱が袁術軍の指揮官として、残り少ない兵力でねばる。やはり、兵力差を維持したまま、互いに消耗してゆく。部分的には、これでいいけれど、袁術を倒した後、劉備軍の兵力は、だいじょうぶなのか。心配になります。

寿春を征圧すると、勅使がきて、劉備を「平東将軍」に。つまり、袁術のつぎは、孫策を撃てということですね。曹操に、いいように使われていますが、、曹操から領土を攻撃されないので、歓ぶべきでしょうか。
袁術が片付いて、とりあえず、3年が経過したところで、第1回のプレイ日記は、おひらきです。170422

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199-201年:劉備勢力が強制的に滅亡

199年春:袁術からカネを脅し取る

前年末、自分=劉譲(劉備の子という設定)は、前将軍になりました。なんか、父の官職を越えている。人物を自作するとき、なにか設定をミスったと思われます。
袁術から寿春を奪った。寿春は、太守(淮南太守?九江太守?)の麋竺が治め、呂蒙が輔佐をしている。自分は、任地である汝南への帰り方が分からず(操作がうまくゆかず)、時間を潰しているだけなのに。

寿春で、疫病が発生。孫策の領土でも、大々的に疫病。もと袁術領で、袁術の呪いかのような疫病が発生。孫策と劉備が被害にあいました。
史実では、孫策が、曹操と境界を接しますが、いまは劉備があいだに挟まってる。真っ先にターゲットになりそう。劉備が、孫策の領土に迫るべく、城塞を落としたり、築いたりしている。ここは、父親に任せよう。

199年1月、公孫瓚が袁紹によって滅亡。ほぼ史実どおり。この時期に公孫瓚が滅亡するように、順番に袁紹が、公孫瓚の領土を削ってきたのだから(落城のニュースは表示されるのです)、よくできてる。
寿春から、汝南に帰るとき(軍を解散すれば、帰れることが分かった)李厳とすれ違って、交流。なぜ李厳が、こんなところにいるのか。荊州南陽郡のひとだからか。配下にほしい!
ぶじに汝南に帰ると、民が「小役人の圧政を注意してくれ」と陳情にきた。「うるさいな。現状を変えるつもりは、ないからね」と、陳情を退ける。多めに振り分けた舌戦のスキルで、まったく反論をゆるさず、楽勝に退けて、なだめる。なんか、せっかくの才能を、保身とか、悪政のためにしか使ってない。

いきなり、三品官になったらしく(昇進が早すぎる。設定をミスった気がする)、そのご褒美の特権をつかって、任意の他勢力から、カネを恫喝する。
劉備が城塞を築き、攻めようとしていたのは、孫策ではなく、ピンク色の、袁術の残党だった。父の劉備が、袁術を滅亡させるべく、がんばっているのに、自分は、勢力の現況を分かっていないという。袁術を、脅迫してみましょう。


199年3月、袁術のいる広陵に向かう。移動に19日をかけて。
道中、たまたま会ったのが、、なぜか袁術サマ。たまたま、城外を散策していたら、自分に出会ったんだって。なんのこっちゃ。ていうか、皇帝が、城外でウロウロ、、するのは、漢代からの伝統だった。曹丕も、よくやるんだった。

これから脅迫しにいこうと思ったのに、親近感がわいちゃった。

袁術の信任があつい武将に、手を回して、袁術からカネ2100を、奪い取ることに。というか、2100って、落ち目の袁術にとって、全財産なんです。全財産を、弁舌で奪いにきた。やった。はじめて、才能を、勢力のために活かしている気がする。
袁術のもとにいる、さらに落ち目の劉繇に、宝物の「遠志」をプレゼントして、口添えの根回しをする。
何日も連続で訪問したが、劉繇は、「ちょうどヒマをしておった」と、出迎えてくれる。碁をうって、コマンドが有効になったので、談話をした。談話には、5日かかる。自分にとっても、劉繇とが、初の談話。劉繇は、寿命が心配だけど(史実だと、そろそろ死ぬ)、袁術勢力を切り崩す、きっかけになればいい。
人物相関図を見ても、袁術集団のなかで、孤立している模様。そりゃあ、もとは劉繇は、袁術に対抗するための揚州牧として、このあたりに君臨した。もとからの袁術の臣のなかでは、「存在感がある」ものの、「浮いている」というポジション。

3月下旬まで、のらくらと劉繇と交流していたら、ここ広陵の城外に、劉備軍が!
なかに自分がいるんだけど、攻撃を仕掛けてきたり、しないよな。まだ、劉繇に口添えの約束を取り付けていないけれど、交戦状態になったら、カネをふんだくれなくなりそうなので、袁術の政庁に、乗りこむことにする!
20日かかる折衝(袁術の周囲の官僚たちを、味方につけるための作戦)に入ったところ、劉備・呂蒙が、やはり広陵を攻撃し始めたので、折衝は強制終了。はやく、最終通告のコマンドを使っておけばよかった。

199年夏:広陵で袁術とじゃれる

夏4月、長江が溢れたらしく、いまいる広陵も、城の耐久力が下がったらしい。もはや、天が劉備に命じて、袁術を滅ぼそうとしてる。
そして、その広陵のなかにいて、劉備軍による広陵攻めに参加せず、ぎゃくに城内で、民の手伝いをしている自分。民のつぎは、「また商人にだまされた」と歎いている、袁術のお手伝い。所要期間6日。ほんと、なにやってるんだ、自分。でも、いまから汝南に帰って、軍を編成して戻ってくるころには、戦いは終わっているだろう。
袁術の落城を、城内で見届けるか。おかしなことになってきた。手持ちぶさたなので、商業の任務を通じて、袁術と親しくなりました。

劉備が攻めている、袁術の本拠地のなかで、袁術と親交を深める。なぞの展開。
城内で遊んでいても仕方がないので、やはり、汝南に帰って、兵を編成してくることにする。道中、袁術のもとにいる、袁渙に出会う。「よき日よりですなあ」と話し掛けられた。なんか、袁術やその配下と、よく会うなあ。

5月、留守をまたもや陳羣に預けて、こんどは単身でななく、軍を伴って、広陵に向かう。軍を連れてると、さすがに移動に時間がかかる。いや、これでも早すぎるんだろうけど。寿春を通り過ぎたあたりで、6月となる。
自分が到着する前に、やはり劉備が、広陵を制圧してしまった。遅刻する息子ってモチーフは、どこかで聞いた覚えがあるけど。

北に目を転じると、曹操が下邳を攻めている。功績の不足を補うために、呂布の領土の城で、ひとつ飛び出たところ(夏丘)を攻める。呂布は、曹操に攻められているから、こちらに兵を向けてくるまい。
夏丘は、呂布が亡べば、きっと無主になる。ドミノ倒しで、どうせ曹操のものになるんだったら、自分で抑えておきたい。
8月にかけ、呂布に帰属した夏丘を奪い、防御施設を築く。つぎの劉備からの命令は、内政の充実。外征は、自分は禁止らしい。はやく汝南に帰らないと、命令違反として、怒られてしまう。すぐ隣で、曹操軍が下邳を制圧。呂布の死は、史実から9ヶ月くらい遅れてるけど、だいたい合ってる。劉備軍は、自分のおかげ?で、ぶじに、曹操との国境線を押し上げることに、成功したのでした。


曹操と戦うのは、絶対に得策ではないので、この国境が、永続することを願います。上図で、黒い線を引いたところです。これから曹操は、袁紹と戦うはず。劉備は、曹操と背中を共有して、南に勢力を伸ばそう。……というか、劉備の子である自分に、そんな戦略を決定する権限はないのですが。

汝南に帰って、ふたたび内政。めでたく、このプレイの第一目標?である、陳羣との親密さが、80になったところで、伝令が。

下邳って、さっき曹操が、呂布が滅亡させた……よね?
っていうことは、曹操から下邳を奪うっていうこと?というか、国境がべったりくっついている曹操と、開戦するということ?曹操との国境は、すごく長いんです。交戦に入ったら、とても防ぎ切れない。端的に言えば、わが汝南が、危機に晒されるんですけど。夏侯惇が来るよ!防ぐ自信がないよ。

……私は、下邳攻撃は、反対っす。
でも、ひとりで無視を決めこんでいても、どうせ夏侯惇はやってくる。だったら、命令に従っておくか。


ちょっとまった!
下邳の曹操の城を、劉備軍のだれも攻めてないじゃん。あやうく自分だけ、突入するところだった。止まれ!止まれ!止まれい!
……というのも、画面のアヤで、すぐに、張飛23000、張遼26000の戦闘が開始。このタイミングで下邳を曹操から奪うのって、史実に照らしたら、絶対にムリなんですけど。自分から城を攻めておきながら、みるみる兵力差が開けられていく。これ、負けなんじゃ……。絶望的(だと自分は思う)戦いをしていると、
199年12月、曹操の大軍が来ている!との連絡。そして、関羽が捕縛されるイベント。あーあ、いやな予感がしたんですよ。

劉備勢力が滅亡しました。。。
あれだけがんばって発展させた、汝南を返せよ!

200年:曹操に降伏

袁紹勢力を頼った劉備。自分(劉備の子・劉譲)は、とくに仕事もなくなってしまったので、陳羣と、5日にわたる論議を楽しむ!
ほんとにね、どれだけがんばっても、領地が、一夜で消し飛ぶんですよ、劉備集団は。と、愚痴っていたら、、


曹操からの勧誘。えっ、自分は、劉備の子なんですけど。
いや、関羽が降伏したんだから、自分も降伏するの、ありかな?それならば、いくつか条件をつけて、降伏するか。いや、降伏の条件なんて、聞いてもらえる立場ではなかった。
だめだめ、劉備をそばで眺めるために、劉備の子というキャラを作ったんだから。仕方がないから、泣く泣く断る。
商人の仲裁なんか引き受けてたら、名声が「商人」に切り替わった。司馬徽が現れて、「50万を稼いだら、商人として大したものだ」と目標を与えられる。いや、自分は、汝南太守のつもりだったんだけど。
なんだか、むなしいけど、現実とは、こんなもんか。

関羽が、顔良を斬るイベントなどを見ながら、やはり汝南が忘れられないので、空白地になった汝南に移動して、旗揚げ。呼びかけるのは、ご覧の人々。
許褚・陳羣・劉辟は、ながく部下として使ってきた。劉繇も、袁術のところで、交流した。付いてきてくれるのではないかと期待。

しかし、付いてきてくれたのは、劉辟だけ。
趙雲・張飛・許褚など、このプレイでゆかりがあった人物に、どんどん話し掛ける。
はっ!まちがって、麋芳と話をしているあいだに、陳羣が曹操軍の配下になったそうです。どうしよ。まったく先が見えない。
譙県にいる呂蒙を登用するため、みずから赴いたら、移動中に、呂蒙が曹操に登用された。譙県に入城しても、呂蒙は不在のようですって。すごい残酷。

車冑に話し掛けられ、知識クイズとか出され、正解したものの、なんの足しにもならんので、「旗下げ」をしたい!
どうにも進まなくなったので、曹操に降伏しました。どうしよ。

200年夏4月、許昌に呼び出されたので、評定に出席にいく。曹操からは、諌議大夫に任命してもらいました。
どうせ、官渡の戦いは、イベントによって、曹操が勝つんでしょ。それを、許昌から眺めるとしましょう。許昌に入ったら、まずすることは、陳羣との絆の結び直し。ほんと、こればっかりやってるな。。


曹操が、全国の状況を確認してくれた。白い旗の空白地域は、もと劉備の領土。難易度を下げたから、空白として、放置されているのでしょう。

200年夏、曹操の配下として、陳羣と親交を結び、、
目標を達成した。陳羣と朋友に!
つぎに曹操は、長安を攻略するという。まだ袁紹が残っているのに。部下が劉辟しかいないので、その劉辟を任地の汝南に残して、単身で長安にいく。曹操から長史に任命された。
遠くでは、孫策の暗殺イベントが発動したり、孫策配下の袁術が、劉表の配下になるというナゾの展開があったりしつつ、粛粛と長安での戦闘に参加(見てるだけ)。
長安は、馬騰の城のようだが、200年7月、自軍が壊滅。馬騰に押し切られてしまった。

これから、どうやって生きていくのだろう。劉備の子のくせに、曹操の配下で、陳羣の名声を頼りにして、出世していけばいいのか?それとも、劉備がいつか旗揚げしたら、汝南郡を手みやげにして、父のもとに帰るのが正解か。
方向性を見失ったまま、汝南で、チクチクと内政をするのみ。

200年冬10月、御史中丞に。とりあえず、年内に、官渡の戦いの決着イベントがあると思われるので、それを待つ。200年11月、親交があった(と自分は思っている)劉繇が病死。史実より、ちょっと長生きしたので、妥当なところ。その他、メッセージだけで、官渡の戦いが進んでいることが分かる。巡察の任務をちびちび、こなしながら、様子見!
そうこうしているうちに、201年になってしまった。
正月、曹操から、太子太傅にしてもらったが、、これは、献帝の太子を指導する役目? 201年、執金吾に。官職ばかり上がるが、実態は、汝南の内政をやってるだけ。落としどころが見えん……。
201年夏、みちを見失ったので、甘陵にいる、父の劉備を訪問する。袁紹の勢力圏だけど、城門を押し通る。曹操のもとから、下野して、父に仕えることした!


……と思ったけど、劉備が太守を務める甘陵は、「君主がいる都市」ではないから、仕官できないそう。太守の権限では、自分の部下を任命できないという、史実に反する設定。すべて、君主が決めるらしい。仕方がないから、袁紹のところに、雇ってもらいにいく。そして、甘陵に配属されたい。
もう201年6月になってる。「劉備が袁紹から追い出されるイベント」とか、起きないよな??そしたら、また、がんばった、都市への関与がリセットされてしまう。それは、もういや。


「存在感」を認めて頂けるなら、父のもとに赴任させてください。鄴を治める高幹は、ぜんぜん話を聞いてくれなかったけど、甘陵への異動願いは、袁紹が聞き届けてくれた。やったー。
父に会うため、せっせと移動していたら、袁紹から、「内政重臣」に任命されてしまった。これって、どういうことなんだろう。けっきょく、甘陵で太守をやってる父のもとには、いけないのか? あ、そうね。鄴県に帰って来いと言われてしまった。。こうなったら、徹底的に、袁紹に取り入るか!

袁紹のところで、六品から五品に昇進。
201年8月、特権をさずかった。これを使って、曹操の殲滅を提案してみようか! 許昌への進撃を提案。周囲の城の攻略も終わっていないのに!ゴリ押しで、どこまでいけるか、見てるだけ!兵力を最大にして、袁紹軍を動かしてみる。バグのような特権なので、使ってみる。63000の兵が、鄴県を出発!さっそく、黄河を南渡する前に、関羽軍と衝突。もちろん、采配せずに見守る!
むちゃな戦闘をしていたら、曹操軍の増援が、どんどん集まってくる。こりゃ、袁紹軍の主力が壊滅するんじゃないかという。なんか、イベントではなく、自分が、官渡の戦いの再現を、強制的にやったような感じ。

そんななか、袁紹は自分を、上党太守にしてくれました。高幹が、鄴を守っているのだから、空席だったのでしょう。歓んで、お受けします。

ザツなことをやったら、やっぱりダメでした。10倍以上の差をつけられた。

袁紹軍が壊滅したあと、新たに任命された上党に行ったら(山のなかだなー)、辛毗がしっかりと内政を固めており、自分がやることが、あんまりない。かつて、がんばって「手入れ」した汝南よりも、立派な街を授かってしまった。
これまでの名声に基づいて、転職先に、「地位を持ち運べる」のは、実際の人生では、成功者の振る舞いだと思います。でも、ぼくは、劉備の子として、関羽・張飛を頼りにしたかったんです。どうせ劉備は、袁紹を追い出され、荊州に行くんだろうし、荊州の領土も、曹操の進攻で消し飛ぶのでしょう。なんか、「やりたいことと違う」ので、劉備の子・劉譲のプレイは、ここまでとします。

冷静な話、このまま劉譲で、当事者意識を持てずに続け、ゲームに飽きる、デメリットのほうが大きい。それよりも、強制的なイベントをオフにして、ちがう武将でプレイしたほうが、おもしろいと思うので。劉譲さんは、能力値の異常な高さを解除して、保存だけしておこう。いつか、べつの機会に会うかも知れないし。170423

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