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『三国志平話』上巻より

『三国志平話』にあるが、『三国演義』では脱落した話があります。脱落もやむなし、と思う部分が多い一方で、「削ったのは惜しかった」と、ぼくが2014年10月時点で思った部分を抜粋します。
原文のテキストは、以下からコピペしています。
全相平話二種画像・テキストデータ
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/pinghua.html

黄巾をやぶる張飛たち

張表(張梁の偽物)が兗州にいると聞き、劉備が「元帥」に討伐を志願して。先主伝の「雑胡騎」がなまったセリフ。_048
備曰、「不用軍多、止將本部下雜虎軍去足矣」
正史の痕跡って、ロマンがあっていいですね。

張飛に攻められ、張宝が弟の張表にいう。張飛の活躍のすごさが、黄巾を代弁して語られる。_051
兄寶曰、「咱軍約迭五十餘萬、將有千員、咱軍十萬爲首、縱橫天下無人敢敵。咱把漢朝世界三停占了二停。看看地都屬咱、今日走出張飛來、失了杏林莊一小寨、你却早有怕懼之心。不論上將下至散軍、如有敢敵張飛者、不問兄長、便賜重賞。」
これより前に、張飛は、「杏林荘」で、ほぼ単騎で張表をやぶった。やぶれた張表は、兗州に逃げて、兄の張宝を頼っている。張宝は、「われらは天下の三分の二を制圧しているのに、ただ張飛1人を恐れるのか」と、味方の臆病を叱咤する。
天下を三分する、というモチーフはすでに表れてる。

張表點軍、不見張寶、死在亂軍中、張角大怒。……張角・張表死在亂軍之中。劉備得了揚州。
なんだか分からないが、張角の三兄弟は、劉備の三兄弟が連戦連破して、とくに見せ場もなく、死んでしまった。皇甫嵩も朱儁も董卓も、戦いません。

段珪が張飛に歯を折られる

黄巾の論功行賞で、段珪が劉備を訪問する。
劉備禮畢、問、「常侍官何來。」「你不識我。我乃是十常侍中一人。」段珪讓道、「俺衆人商議來、玄德公破黃巾賊寇、金珠寶物、多收極廣、你好獻三十萬貫金珠與俺、便交你建節封侯、腰金衣紫。」
劉備が「常侍がなんの用で来たのか」と問えば、段珪は、「十常侍の1人であるオレを知らんのか。劉備は、黄巾を破って、金珠宝物を得たはずだ。差し出せ。官爵で報いてやるから」と、売官せよと押しつける。後漢の腐敗を、歴史叙述によってでなく、劉備の体験によって、読者に分からせる。
「説明するな、描写せよ」の王道に則っている。

劉備曰、「但得城池營寨、所得金珠段疋、皆元帥收訖、劉備並無分毫。」段珪聽言、忽然便起、可離數步、回頭覷定劉備、罵、「上桑村乞食餓夫、你有金珠、肯與他人。」張飛大怒、揮拳直至段珪根前。劉備・關公二人扯拽不住、拳中唇、齒綻落、打下牙兩個、滿口流血、段珪掩口而歸。
劉備が「財宝なんか得てない」というと、段珪が劉備を「乞食・飢夫め」と罵る。張飛が怒って、段珪をなぐり、歯をたたき折り、出血させる。

長安(洛陽の代わり)で恩賞がないのを待ちくたびれる劉備は、通りかかった「国舅の董承」に口を利いてもらい、安喜県尉にしてもらう。
劉備曰、「元帥下諸將、都有賞賜、加官赴任、唯有劉備諸軍、隨朝月餘、並無宣詔、軍兵盡皆餓散。」車中者乃皇親國舅董承、言曰、「又是十常侍官作亂、先鋒使且去内門外、等我復回奏帝。」

安喜県尉として赴任した劉備は、上官にあたる、定州太守の元嶠によって、遅参を咎められる。
才時施禮、有太守大怒、喝云、「劉備休拜。」……太守問、「你這裏至長安近遠如何。違限半月有餘、你是拖酒慢功、嫌官小、故意遂慢。」
この処置に劉備が悩むが、張飛に見抜かれる。
張飛曰、「哥哥錯矣。徒長安至定州、行十日不煩惱、緣何參州回來便煩惱。必是州主有甚不好。哥哥對兄弟説。」
太守の言いがかりに怒った張飛は、太守を殺す。
〈張飛〉把太守元嶠殺了、有燈下夫人忙叫道、「殺人賊。」又把夫人殺訖、以此、驚起衙内上宿兵卒、約迄三十餘人、向前來拿張飛、飛獨殺弓手二十餘人、越後牆而出、却歸本衙。

太守が殺された!ので、督郵が派遣された。『三国演義』では、勤務査定をするとか、あまり督郵が訪れる必然性を感じない状況にスポイルされる。まあ正史準拠なんだけど、つまらんものは、つまらん。
督郵は、「段珪の歯を折ったのも、お前らだ。太守を殺したのも、お前らだろう」と、じつは正しい判断を口にする。張飛と関羽は怒って、督郵を殺して、死体をバラして釣るし、山賊になる。
傍有關・張大怒、各帶刀走上廳來、諕官各皆奔走、將使命拿住、剝了衣服、被張飛扶劉備校椅上坐、於廳前繋馬樁上、將使命綁縛。張飛鞭督部、邊胸打了一百大棒、身死、分屍六段、將頭吊在北門、將脚吊在四隅角上。有劉備・關・張衆將軍兵、都往太山落草。
『三国演義』では、ヤナギのムチで督郵をうつ、おとなしくされた張飛。ヤナギのムチですら制止する、理性に富んだ関羽と劉備、という話になる。しかし、ほんとうに史実に近づくなら、リアリティを高めるなら、劉備たちは、これくらいやっただろう。

山賊になった劉備に頭を悩ませる朝廷。ここでも、「国舅の董承」が、劉備の理解者として現れる。あとから曹操を暗殺するとき、手を結ぶ、、という伏線は回収されるのか。
〈董承曰〉「今將十常侍等殺訖、將七人首級往太行山、便招安得那弟兄三人。」……童承將七人首級、前往太行山去。見一彪軍兵、董承與軍兵打話、「我奉聖旨招安你、爲十常侍等朝野内貪財好賄、懸秤賣富、以此誅殺。今將首級交你弟兄知者。又赦你殺太守、鞭督郵之罪、都在赦下。」
絶望的に思える漢王朝の風通しは、董承という協力者を得ることにより、劉備にとって良いものになる。劉備は太守・督郵を殺した罪を許され、平原の県丞となる。

思うに、史実における後漢末は、地方官を殺した、いわゆる「賊」に、ぎゃくに官職を与えて帰順を促すことがある。張燕とかが好例。劉備のように兵力として優れており、張飛のような乱暴者がいる集団に、官職を与えるというのは、ふつうに行われていたのでは。篤実な劉備と、正義の関羽、という『三国演義』よりも、かえって史実のイメージを伝えているのかも知れない。

ムチ打ちのシーンで、『平話』と『演義』のいずれが優れているかは、井波先生の新書『三国志演義』に書かれていたので、気にしてみました。

董卓が朝廷を乱す

霊帝から献帝への継承はスムーズで、何進のカの字も出てきません。なぜか後漢は、献帝の即位と同時に、これまでの都の長安から洛陽に遷都する、という謎な展開を見せつつ。涼州を「四大寇」に襲われる。董卓の残党であるはずの、李傕・郭汜・張済・樊稠が、いきなり現れる。『三国演義』で、董卓の死後、彼らは長安を四方から攻める。この「四」は、重んじるべき符号です。
のちに「四盗寇」「四元帥」として反復して登場する。「ヨニングミ」は、キーワードに違いない。
そして、
彼らを討伐する者として、董卓が王允に推挙され、登場する。
史実の董卓は、いわゆる「四大寇」を部下として使いながら、涼州方面の平定をおこない、功績を立てる。物語の構造としては、同じではあります。
王允出班奏帝、「有西涼府申報、有黃巾賊張・李四大寇、約三十餘萬、占了西涼府。」帝曰、「如何。」帝問王允、「誰人敢去。」王允奏曰、「宣董卓爲元帥。董卓有萬夫不當之勇、身長八尺五寸、肌肥肉厚肚大、舉討王之作、上陣披重鎧、走如奔騎、坐綽飛燕」
やがて董卓を始末することになる王允によって、董卓は物語の場に誘い込まれる。このあたりは、神話分析としても、うまく図式化できそう。
王允曰く、董卓は肥満しているが、飛燕のように素早い。

太師領軍兵五十餘萬、戰將千員。左有義兒呂布、布騎赤免馬、身披金鎧、頭帶獬豸冠、使丈二方天戟、上面挂黃幡豹尾、步奔過騎、爲左將軍。右邊有漢李廣之後李肅、帶銀頭盔、身披銀鎖甲白袍、使一條丈五倒鬚悟鉤鎗、叉弓帶箭。用文者有大夫李儒、用武者有呂布・李肅、三人輔佐董卓。
董卓軍は、左に呂布、右に李広の子孫の李粛、そして文官の李儒。つねに三人組という後世で、分かりやすく示すのが特徴。この李粛の活躍に着目したい。

李粛については、竹内先生の論文をみる。


淮南王 袁術の太子・袁襄

董卓が死に、呂布が長安を追われる。貂蝉の話は、『三国演義』のほうが優れているので、『平話』から拾うべきことは、あまりないと思う。
呂布が徐州にゆき、劉備に頼る。史実どおりだから問題ないはずだが、物語としては、かなり唐突な感じがする。

徐州を治める劉備を、袁術が攻めてくる。この一節だけ独立しており、元代の雑劇から、まるまる移植されてきたような感じ。
前後半載、有人告先主、「南四百里地有壽春哀術、使太子袁襄引兵取徐州。」先主即時使張飛爲接伴使、南迎袁襄。約行三十里地、有一亭、名曰石亭驛、接自袁襄。二人相見、禮畢、張飛置酒、三盃酒罷、袁襄言徐州事。張飛不從、慢罵、「玄德織席編履村夫。」張飛大怒罵、「我家兄祖代帝王之子、漢景帝十七代玄孫、乃中山靖王之後。你罵織席編履村夫、毀我家兄。諒爾祖乃田夫之人。」張飛即時便還、袁襄欲打。【張飛捽袁襄】張飛拿住袁襄、用手舉起、於石亭上便捽、左右衆官不勸、逆捽殺袁襄。跟從人皆回、無數日見袁術、術哭曰、「頗耐張飛。」即時使大將紀靈、將三萬軍取徐州、先主留張飛權徐州、先主・關公并衆官等、南迎紀靈、前後一月不回。
時系列も、わりに適当で、どこにでも入るような感じ。
「前後、半年で」とか、よく分からんw

ぼくは思う。無双7エンパを自作キャラで遊ぶなら、「淮南王」の袁術の太子である「袁襄」にしよう。袁燿よりも活動時期が早く、張飛に殺されるので、庶長子という設定でいけると思う。〈曹昂:曹丕=袁襄:袁燿〉という位置づけで。袁術の「メカケの子」だから不遇であり、また孫策にも嫉妬するという可哀想な子。


袁襄サマを斬る役割まで(僭越にも)与えられた張飛について、派生して思いついたことがあるので、メモしておきます。


曹操と張飛の交流

このほかに上巻では、張飛と曹操の交流が描かれる。虎牢関の戦いの前に、曹操が劉備のところに「参戦してくれ」と説得にくるのだが(ここが曹操と劉備の初対面)、劉備の決心を促すのは張飛。
曹操執盞進與劉備、備言曰、「小官武藝不會、弓馬不熟、恐失國事。」傍有張飛言曰、「哥哥自從桃園結義、共破黃巾、圖名于後。今國家正是用人之際、隨衆諸侯到虎牢關、與董卓・呂布交戰。托頼皇帝狹福、殺了董卓・呂布、落得凌煙閣上標名、強如平原縣爲宰、得個腰金衣紫、蔭子封妻。哥哥若不去、小弟張飛願往。」曹操應聲而謝、宴罷、曹操再三囑付、「張將軍許了去也、若遲到、必交使命來請你三人也。」
劉備が、曹操の誘いに躊躇したとき、張飛が「虎牢関に行こうぜ」という。曹操は、「張将軍には、ご承知いただきました。(劉備が躊躇して、虎牢関に)遅れるようなら、メールちょうだいね」という。

董卓が片づいた後、徐州で劉備と呂布が争ったとき、曹操のところに使いした張飛が、「車騎上将軍」に任じられる。張飛が車騎将軍になるのは、蜀漢のなかでの話だが、早くもこの官職を手にするw
曹操讀罷書、歡喜無地。又言、「張飛勇冠天下、吾手下官員、皆不似翼德。」丞相又言曰、「張飛白身車騎上將軍、吾東征呂布、倘若還朝、交你正受也。」令賜酒肉與張飛同十八騎軍卒、令人擔酒出寨。東南帳裏、二將皆出、内中一人叫張飛、下馬同見、二人相見、甚喜。
献帝からもらった、正式な車騎将軍。張飛はえらい人!

虎牢関で諸侯を見返すのも張飛

話が前後しますが、
『演義』では、虎牢関で名乗り出たとき、「身分が低いやつは、引っこんでろ」と言われるが、武力によって諸侯を見返すのは、いずれも関羽の役割。
しかし『平話』では、張飛が諸侯の罵倒に堪えて、かつ武力によって見返す役割を演じる。
宋文舉曰、關前誅董卓、何用緑衣郎。」衆官聽道、皆喜。冀王又問、衆官皆不語。三將辭冀王出寨東北五七里、到於本寨。張飛言曰、「倘若在平原、豈受他人患。」
宋文挙という、孔融(あざなは文挙)と、宋忠?を混ぜたような、よく分からない人物から罵倒されるが、張飛は心が折れない。
『演義』では、袁術サマに関羽が罵倒される、話に転じる。袁術を、身分の高いイヤな人物とする造型が、『平話』から『演義』の間で進んだことに気づきますが、それは本題じゃない。

『演義』で関羽は、曹操から?緑色の服をもらった。やがて『真・三國無双』では、蜀漢は緑色の服を着ることになる。その原点は、ここにあるのでは。
再説する。蜀漢と言えば緑色ですがw。『平話』で劉備は、冀王の袁紹に「緑袍」と身分の低さを侮られ、宋文挙(孔融の偽物)に「緑衣郎」と蔑まれ、劉備は「私は緑衣郎だから」と長沙郡王太守サマの孫堅と張り合えないと落胆する。『演義』で関羽が緑を着てた気がするけど(忘れた)それより前から、蜀漢は緑色。


孫堅が大敗し、置き忘れてきたwヨロイを取り返すのは、張飛である。まるで『演義』で、孫堅が勝てなかった華雄を、代わりに関羽が立ちどころに斬って、差を見せつけるように。
有長沙太守孫堅引軍出馬、與呂布對陣交馬、都無三合、孫堅大敗。呂布趕入大林、呂布發箭斯孫堅。孫堅便金蟬蛻殼計、孫堅却將袍甲挂於樹上走了。呂布將孫堅的頭盔戰袍、使健將楊奉上虎牢關與太師董卓去。
孫堅は、逃げるためにヨロイを脱いできたが、
正行之次、路逢張飛、奪了頭盔戰袍、至天明、張飛至袁紹大寨、轅門下馬、先見先主・關公。翼德言曰、「孫堅言咱門是貓狗之徒、飯囊衣架。」
張飛が取り返した。

劉備は、身分の低さゆえに、出る幕じゃない、孫堅の機嫌を損ねてはいけない、と自暴自棄になるが、張飛が劉備を励ます。
先主曰、「他爲長沙大守、我是綠衣郎、豈能爲他爭氣。」張飛笑而叫曰、「大丈夫死生不顧、圖名于後。」先主・關公勸不住。張飛直至冀王帳前、張飛獻頭盔袍甲與冀王。太守孫堅、衆官不語。聲若巨鐘、「前者太守言我皆爲貓狗之徒。呂布下關、太守棄袍得脫。」孫堅聞之大怒、推張飛欲斬、諸侯皆起。
予想どおり、孫堅は怒っちゃうが、袁紹・劉表・曹操が止めてくれる。
有冀王袁紹・荊王劉表・譙郡太守曹操告曰、「呂布之勢不可當、若斬張飛、誰破董卓。」孫堅不語、張飛自言、「若呂布下關、我兄弟三人、必斬家奴。」衆官皆喜、張飛得脫。第三日、呂布又搦戰、衆諸侯出寨與呂布對陣。張飛出馬持槍。
「三戦呂布」の主役も、張飛である。『蒼天航路』では、いつも関羽から、「stay」と言われて、戦うことを許されない張飛とは、まるで違う。

『演義』関羽は、『平話』張飛から生まれたか

『平話』は粗野な張飛の物語で、

毛宗崗をマネるなら、「暴絶」と言ったところかw

『演義』は「義絶」の関羽の物語である!という指摘は足りないと思う。

『三国演義』で、虎牢関の前後で曹操と心を通わせ、孫堅が勝てない敵を圧倒し、徐州時代の劉備の臣として曹操に評価されるのは、いずれも関羽。しかし『三国志平話』では、内容に揺れはあるものの、全て張飛がこの役割を担当してた。今まで見てきたとおりです。
『平話』張飛は、ただ「莽(がさつ)」で「教養なく粗野でらんぼうな無法者」だけではない。関羽にひきつがれる、主人公として話を前に進めるだけの、最低限の治世と人格を有する。ということを発見しました。

物語の系統的な発生について仮説を立てるなら、
最初に万能の主人公としての張飛がいた。かわりに『平話』関羽は、存在感がない。戦場において、まるで『演義』劉備のように、強いのか弱いのか分からず、足を引っぱってる。実りのある発言、劉備へのアドバイスも、張飛が済ませてしまうから、関羽は「三」兄弟、という呼称を使うための数合わせである。
やがて『演義』は、万能な主人公の張飛の一部を分けて、関羽を作った。『平話』張飛をうまく切り分けて、暴絶めいた張飛と、義絶の関羽、という2人のキャラを作った。分けることで、混然とした性質が見やすくなり、キャラが立った。

デスノートで、初代Lを切り分けて、ニアとメロになったような。神が、アダムの肋骨から、イブを作ったような。ただし前者の場合は、魅力がなくなってしまった。つねにキャラを分ければ良い、というわけではない。『三国演義』の関羽像の成功は、やっぱりすごい。

関羽に義絶を演じさせるために、必要な活躍シーンは、張飛から譲らせた。結果、ちょっと関羽への移動が多くなり過ぎて、張飛が物足りなくなった。
なんてことを、なんとなく考えました。141017

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